空間情報デザイン研究室
空間情報デザイン研究室 小林一郎
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2007.09   松尾健二 からメンバーへ


分岐点


分岐点

昨年から小林研に籍を置いてから多くの先輩方にお会いしました。
まだ、あったことのない先輩方もkolgを見れば様々な場所で活躍されていることが分かります。

世代こそ違えど、同じ研究室という空間と時間を共有しながらも進んで行く方向がまったく違う。
みんな、それぞれに方向を決めて小林研から進みだしたのだろうと想像する。

先輩方を見て後輩を見て自分を見ると
今、まさに分岐点に立っているのではないかと思う。

一つ上がいた場所に立ち、二つ上のいる場所に向かっている。

進む方向は違ってもまた出会えないわけではない。
目的地が同じならばどの道に進んでもまた出会える。

小林研とか熊本っていうところはそんな土地柄なのかもしれない。

自分はもうすこし悩みながら決めようと思う。



2007.08   西本 逸郎 からメンバーへ


イチロー


今年の大リーグオールスター戦。イチローがやってくれた。3打数3安打プラスなんとオールスター史上初(本人にとっても初らしい)のランニングホームランで、MVP獲得。スカッとしたニュースで感動した人も多いことだろう。

一昨年、我が福岡県立東筑高校の大先輩仰木監督が亡くなった折りに、イチローに東筑同窓生に対するコメントをもらおうと様々なルートからアプローチをしたが叶えられず「イチローの馬鹿野郎!」と思ったときもあったが、やはり私はイチローの大ファンなんだと改めて思ったものだ。

また、私は最近話題の別な「イチロー」そう小沢一郎さんのファンでもあり、彼の昔からの政策・闘争・政治手腕など、すばらしいなと密かに応援してきた。

その中で、先日の参議院選挙が行われたのだ。結果は皆様ご存知の通り、「自民の自滅的敗北」とマスコミが言っている結果となった。統計によると自民党支持者の多くも今回は民主党に投票するという、裏切りが多発したようだ。

実は、私はいつもは民主党なのだが、今回は「自民党」に投票した。謂わば、逆裏切りだ。何故そうしたのだろうか?

投票所に行くまで正直迷っていた。選挙直前にも、絆創膏大臣の「法律は守っている」という発言に対して「法律は守っているので問題ない」と言い放った亡国、いや間違った、某国総理大臣の発言を聞いて「ばか者!不祥事を起こした会社の社長がそんな発言をしたら、即倒産!法律を守れば問題ないなどと言い切るどこかのアホ弁護士が言いそうな事をほざいて長が務まると思っているのか!そんな根性で、美しい国なんぞほざくのは100年早い!」と新橋の焼鳥屋で飲んだくれていたし、選挙もろくに行ってない某女性元アナウンサーを候補に立てる(なんと当選したが)等、自民はどうしようもないなあと思っていたのだ。

でも、民主党の今回のスローガン「生活が第一」が、何か引っかかっていたのだ。しっくりこない。

最終的な意味では「生活が第一」で間違いないのだろう。でも、お国や他の人のために我慢が必要なことも多いものだ。「国破れて山河あり」という言葉があるが、国破れては、いけないと思う。日本の競争力は、一人ひとりの力に支えられてきたものだ。

その中で、「生活が第一」という「分かりやすいスローガン」は小泉さん的だし、それにあわせての候補者の選出や、テレビなどでのPR方法も、あまりにも「分かりやすく」、それを危ない匂いと感じた私は何かおかしいのだろう。ある面、それ程「イチロー」も今回は勝負をかけ、想定外の「ランニングホームラン」で「MVP」をとったのかもしれない。

前回の衆院選や今回の参院選で多くの「チルドレン」が登場した。今回も陰でITが徹底的に利用された雰囲気がある。今後、さらにスローガン等を含め直接的にITが利活用されると、さらに多くのチルドレンが生まれ、勢いで総理大臣までなる人が出るかもしれない。電算機から始まったIT利活用は、これからが本番。今後はいろんな仕組みを変えていく起爆剤になっていくことだろう。

振り返り、自分の研究に目を向けてみると、大きく出遅れており、これからが本番だ。新橋の焼鳥屋で愚痴を言っている暇はない。IT利活用の陰やコラボレーションとセキュリティといった観点で進めて行きたい。

思い出した。投票用紙に、素直に「自民党」とだけ書けず、欄外に「馬鹿野郎!しっかりしろ!」と書いた為、私の投票は無効になった気がする。こういうことも民主勝利の遠因かも知れない。orz





2007.07   竹下 史朗 からメンバーへ




気がつけば、7月

M1になってからこの3ヶ月は、あっという間だった。
授業、論文、研究。
常に何かに追われていた3ヶ月

それは「環境の変化」というありふれた言葉で済まされることではなく、自分の中での「意識の変化」のほうが大きい


実際、環境は大きく変わっている

3月までは "小林研のIT班"
4月からは "小林研"

今後の研究室の方向性を決めていく大事な時期


でも、一番大きな変化は、後輩がいるということ
もう甘えてはいけない、自分は先輩なんだ
そういう意識、重圧

この3ヶ月、先輩であるという「意識」だけでやってきた
でも「意識」する時間は終わった
きっちり行動で示していかなきゃいかん

師、いわく
『研究室はチームなり』

これからの小林研の色は、僕らがつくる

梅雨はもう明けた
行くぞ、小林研


そんな、7月




2007.06   上野 幹夫 からメンバーへ




私は熊本から約1300km離れた埼玉で生活している。
最後に熊本に行ってから約1年経っただろうか。

メンバーが一新し、会話したことがあるのは
柿本くんのみとなった。

先月は、まだ見ぬメンバー竹下くんと論文を2編投稿した。
やりとりはmail・hp・ftpで全てを行った。
携帯電話すら使っていないので、会話もしていない。
便利な世の中になったものだ。
しかし、気持ちが繋がったかどうか不安だし、孤立感・孤独感すらある。
このままメンバーに会わずに良好な関係を築けるだろうか?

藤島さんが卒業し、IT班の最上級生になった。
研究室という組織の一員として、
学生を引っ張っていかなくてはいけない立場だ。
でも、皆にまだ何もしてあげられていない不甲斐無さを感じる。

早く熊本に行って、皆に会いたいと思う。
一度会えば、以降は遠慮なく積極的にmail・kolg等で
やりとりできると思う。

日本的な考えかもしれないが、
「遠距離研究」にはITでも補えない重要なものがあると感じた。




2007.05   毛利 洋子 からメンバーへ




5月。忙しい時期を経て、一息つける時期であり、また、巣立った者にとっては、新たな場所を見つけ、かつて居た場所を、振り返る時期かもしれない。
そんな時、誰かの言葉や出来事を、ふと思い出すことがある。

また、言葉を思い出すだけではなく、時を経て、改めてその意味に気が付くことがある。同時に、今までわかっていたつもりで、わかっていなかった自分に気が付く。

ある小説では、主人公が、人との会話をキッカケに、幼い頃聞いた祖父の言葉を思い出す。そして、自分の置かれた状況や出来事に照らし合わせながら、その言葉の意味を少しずつ、理解していく。

一方、ラジオで、誰かが喋っていた。
「以前から知っていたアルバムだが、聞かずにいた。自分自身が、音を聞きたくてしょうがない時に聞くために。その時が、そのアルバムを受け入れる、いい状態だと思っていたから。」

忙しさ、慌しさに押されていると、ふと振り返ることを忘れる。
でも、それを忘れると、自分自身が止まってしまうような気がする。
一息つける時は、大事な時なのかもしれない。
新たに、前を向くために。




2007.04   小林 一郎 からメンバーへ




土木工学科の「橋梁講座」は、どこの大学でも伝統講座であった。
「橋梁は土木の華」という言葉にも、この集団の自負が表れている。
ただし、昭和49年には、熊大の講座は「土木構造」になっていた。
一方橋梁研究は、共通講座の「構造力学」研が活発に行っていた。

「構力」出身の私が、「土木構造」の助手になったのは偶然である。
別の、それなりに長い話があるが、今は語る時期ではない。
この講座から独立するとき、設計に軸足をおいた講座を作りたかった。
実態は後から作り上げるとして、「施設設計工学」と命名した。

まずは、土木における「もの造り」とは何であるかを研究したかった。
次に実践部隊を育てたかった。「景観班」と「IT班」がその結果である。
思い通りになったかと聞かれれば、『そうでもない』ということになる。
「これで良かったか」と問われれば、『上出来である』と微笑むはずだ。

この4月、2つの新講座が、何色にも染まっていない学生達を迎える。
すべてを消し去って、真新しい部屋を作ることも可能だろうが、
研究室の中に、先輩達の「何か」が息づいていることを感じてほしい。
人は無機質な箱の中では育たないし、自力で大人になることはない。




2007.03   椎葉祐士 からメンバーへ




小林研で4年間過ごしました。


小林研は、毎日夜ご飯を一緒に食べにいったり、月に一度は何かしらの飲み会があったり、誰かが論文〆切前で残ってると、なにも用がないのに一緒に徹夜したり、他の研究室からしたら気持ち悪いほど仲間意識が強かったように思えます。

4年前も今も。

僕は、そんなメンバー間の強い信頼関係が好きでした。こいつらは一生裏切らないと、頼りになる友人だと。
そんな思わせてくれる研究室の雰囲気は今後も大切にしていってほしいです。

もちろん研究も大切だったけど(笑)。

3月はいろいろと引き継ぎが大変だと思いますが、それぞれが小林研で感じた大切なものも忘れずに次の研究室に引き継いでください。



2007.02   松尾賢太郎 からメンバーへ


みなさん、ありがとうございます


最近、改めて「ありがとう」という言葉について考えます。
これまでいろいろな人に「ありがとう」と言ってきました。

簡単な言葉だけれど、その言葉が素直に言えないときがあります。
切羽詰ってるときなんかは、特にそのタイミングを逸してしまったりします。

もともと「ありがとう」という言葉は、
「滅多にない」、「珍しくて貴重だ」という意味の
形容詞「有り難し」が転じてできた言葉です。

そういう恵まれた境遇に自分がいることが、
分かっていないと言えない言葉です。
そのタイミングが分かっているということは、
周りが見えているということだとも言えます。

ということは、自分の置かれた立ち位置を確認するためにも、
「ありがとう」を言うことは大切なのだと思います。

論文に追われて、切羽詰った感じの1、2月でしたが、
振り返ってみると、どれだけの「ありがとう」が言えただろうかと考えます。
結果、なかなか言えてなかったように思います。
まだまだだなぁと思います。周り見えてないなぁとも思います。


そういうわけで。
改めまして、みなさん、ありがとうございます。






2007.01   中村 大祐 からメンバーへ




就職活動を経験した人ならわかると思うが、
まず就職活動を始めるにあたり、
自己分析というものを行なう。

自分がどんな人間かを知らなければ、
相手に自分をうまく説明することなんてできなし、
自分が何に興味があるか知らなければ、
どんな仕事をやりたいのかわからない。

自分が一生やっていく仕事だからこそ、
真剣に自己分析をしなければならない。

真剣に考え、やっと4月に自分のやりたい仕事を決めた。

就職活動は終わった。
でも、自己分析は終わらない。

自己分析は
自己の評価や自己の価値観の中で生きていける「対象」を
見つける手段の一つであると思うからだ。

その「対象」は仕事かもしれないし、家族や恋人かもしれない。

人生は一度きり。

「対象」のある人生を送りたいと思う。



2006.12   椎葉 航 からメンバーへ




今年、母を亡くしました。
病名は癌です。
見つかったときには、既にかなり進行していました。

しかし、母は決して諦めずに一所懸命に生きようとしました。

どんなに体が痛いときにも決して、「痛い」と言ったことはなく、
どんなに体調が悪いときにも、周りの心配ばかりしていました。


そんな母が亡くなる間際まで絶やさなかったことがあります。

           “笑顔”
そして、
         “人を想いやる心”
です。

亡くなる間際まで“笑顔”でいることは、病状を察するに大変なことだったと思います。
そんなときにも母は“笑顔”で、そして僕や家族を想ってくれていました。

はっきりとした意識はありませんでした。
本能でそう動いていたようです。

今与えられている一分一秒を大事に生き、
常に“笑顔”を絶やさず、人を想いやる母から本当に多くのことを学びました。

生きている限り、楽しいこともあれば、辛いこともあります。
そして、人間、いつ死が訪れるか分かりません。

日々生きていること、また生かされていることに感謝し、
今日という一日を悔いの残らないようにしましょう。

そして、

“笑顔”を絶やさず、人を思いやる心を大事にして生きていきましょう。




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