空間情報デザイン研究室
空間情報デザイン研究室 小林一郎
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2008.08.14   アムステルダム



8月13日(曇り)
ドイツ最後の日。8時起床。8時50分出発。日曜日なので、ドイツでのお土産を買えなかったのが残念。毎日曜日、いつも何かが出来なかった。1時間損して(時差)12時40分アムステルダム着。人が溢れ、自転車が溢れる町である。フランスでは自転車を見たことがない。ドイツでも、ちらほら。ここでは、駅周辺の歩道の手すりに自転車がびっしりと鎖状の鍵で張り付いている。まるで正月に、木に花を咲かせたお神籤のようだ。どのホテルも満員。ようやくみつけた部屋も60G(ギルダー:約6000円)。高い。

駅は東京駅によく似ている(実際はこちらが本家)。運河が蜘蛛の糸のように何かを中心に張り巡らされている。ガイド本もないので、町の骨格がよくわからない。興味もない。人の雰囲気は、案外正確に都市の顔を表現しているように思える。何となく苦手。みんな、英語が抜群に上手い。それも馴染めない。どちらにしても、好きな町ではないようだ。2泊の予定であったが、1泊にする。

橋の町らしい。しかし運河自体が、5〜10mの幅なので、橋もオモチャのような代物だ。1時間の運河ツアー船に乗る。空はどんよりし、港に出ても、水も濁っている。この辺りから北欧が始まるのだろうか。気が重い。心はわずかに晴れたのは、スナック屋に魚フライ屋があることだ。三角の紙にフライと小さなパン(非常食としか思えない)をほりこむ。客は、ケチャップかマスタードを気が済むまで、流し込んで、満足そうだ。鰯のフライは日本のと同じくらい美味しい。

夕方、時間つぶしに町を歩く。英語園なのだろう、英書だけの本屋もある。雑誌も種類が豊富で写真、イラストも洒落ている。紙も上質紙。何時になったら、日本もそうなるのだろう。この店で、童話と子供用の英語のダジャレの絵本を買う。イギリスにもこんな素敵な本屋があるのなら、「一度は行っても良いな」と独り言。

せっかくドイツ語のメニューの勘所も判って来て、失敗がなくなった所なのに、新しい国は気が滅入る。ましてや、安レストランには英語のメニューがない!奇妙なローマ字が並んでいる。大まかに質問をしたが、オランダ語と英語のチャンポンのような変な言葉で聞き取りにくい。「エイヤ!」で頼んだら、昼間のスナックのような魚フライ。しかも付けあわせが溢れんばかりのポテトフライのみ。目で楽しむ食事などというのは、フランス人と日本人という変な連中の言うことで、「食えればいい」というのが、世界の常識なのだろう。

食べ過ぎの日々に慣れてしまったので、大いに物足りないまま外に出る。入る前から、味まで確実に予想通りのモノが食える店はないだろうか。そうだ、マクドナルドがある。チーズバーガーと生ぬるいビール。やはりビールはひどかった。角の居酒屋で、もう一杯飲むしかない。明日はロッテルダムに移動しよう。


辺境の地で、生まれ育ったせいだろうが、首都とか一番とかいうモノに、理由もなく抵抗感がある。「巨人より西鉄のほうが数段優れた野球チーム」と考える集団の一員だ。今気づけば、この旅行でも、何の違和感もなくマドリッドをはずしバルセロナを取った。ベルリンに行く気もない。アムステルダムが2番目の外国の首都なのだが、ロッテルダムに行きたいと思った。大した理由もないが、居心地の悪さを感じてしまうのだろう。

確かに、その後、学位論文の関係で内地留学先は(つまりは学位取得大学の選択)、京都だし、フランスもリヨンに落ち着いた。いずれも古都である。思想の問題などと言う大袈裟なことではなく、皮膚感覚のレベルで、自分なりの心地に基準があるのだと了解した。

さた、ここまで旅行を続けて、「早くパリに帰りたい」と思い始めていた。@美味い赤ワインでエスカロップが食べたい、Aできるなら、シャルトル寺院を見てみたい、Bポンピドー・センターにも行きたい。その順番で是非ともやりたい。フシェールに電話すべきかどうかは、旅行中ずっと考えていたが、やめることにした。電話では真意が伝わらないに違いない。今回の反省は語学力の低さだ。「思ったことの十分の一も言えれば、立派なもの」と自分では得心したが、9割は通じていないのだから、全く恥ずかしい。きちんと美しいフランス語が書けるようになりたい。文章で出会った人とは、文字を通して続きを語りたい。

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2008.08.13   ボットロップ 2・エッセン



8月12日 続き
少女の話では、今いる所からは、ボタ山があって見えないらしい。手書きの地図では迂回することになっているが、ボタ山の間を通った方が近そうだ。石炭ガラが敷き詰められた道を飛ばす。急に左折する道を曲がったら、正面からブルドーザーが突っ込んできた。もちろんブルドーザーに訳のわからぬアジア人が飛び込んで来たというのがより正確なのであるが。あわてて右にハンドルを切り、それを立て直そうとしたが、横転。石炭の上を面白いように滑っていき、左腕と左足から地面に落ちる。

一瞬息が詰まる。次に、手にすり傷があるのが判るが、大きな打撲はなさそうだ。しかし、服は炭で左半分は真っ黒。それを手ではたいたが、全く落ちない。ジーンズも膝下に穴が開き、血がにじんでいる。両手もドロドロ。運転手は、2階のような運転席から肩をすぼめて見せるだけ。自損事故なので文句の言いようもない。僕も無理して、無事だあることをアピールする。彼はおもむろに去っていく。Solexを立て、タオルで、両手だけは拭いて、カメラを確かめる。肩から襷がけしてあったし、倒れだしてからは、抱いていたので、無事なはずだ。バイクも汚れて、すり傷が付いているが、無事。

急いで現場をあとにし、橋に向かう。手が汚れているので、カメラを探すこともできない。辺りを見渡すと、家の前で、幼稚園くらいの女の子が野いちごを摘んでいる。両手を見せ、water! Wasserだったっけ等というが、彼女はNo! といって家に逃げ込んだ。驚かす気はなかっだのだが、悪いことをした。仕方なく、ハンカチを出して唾で指先を擦っていると、四角のポリバケツに水を入れて、箱に入った粉石けんを持って来てくれる。感謝。嬉しかったので、バケツを彼女に渡さずに玄関まで一緒に運んでいく。母親にお礼を言い、事情を話して(お互いに例の片言英語)、住所を教えてもらう。帰ったらとびきり綺麗な富士山とサクラの写った絵ハガキを送ることにしよう。

これだけ苦労したのに、なんと言うこともない下路式の2連アーチ橋だ。30分で切り上げてエッセンへ。土曜のせいか、13時を過ぎると商店から露天の屋台まで店じまいを始める。14時半に昼食をすませ、16時までHbf に近いミュンスター寺院を見学。

礼拝堂の中は夕方ののんびりとした風がながれ、静か。椅子に座るとすぐには立てない。午前中のドタバタが遠い昔のできごとのようだ。少し休んで、「黄金のマドンナ」を見学。薄暗い寺院の中で、何本ものローソクだけが揺れている。別の席に座って、20分近くボンヤリと眺めていたが飽きない。ふと隣に座っている婦人に気づいた。僕がここに座る前からそこにいた。時々鼻の辺りにハンカチを持って行く。よほど悲嘆することがあったのだろう。像の台座には聖書の言葉が書いてある。

ALLES WAS ER EUCH SAGT DAS TUT:JOH 2/5

言葉の通じないことをもどかしく思う一日だった。しかしまた、それ故に幾人かの愛すべき人々に出会うことのできた一日でもあった。礼拝堂の婦人は僕には気づいていない。けれど、傍観者である僕は、彼女の隣にいたことで、教会が涙を流すことで、心平らかになれる場所であるということを知った。ここでも、深く何かを想うことの意義を教えられた。失敗ばかりに思えたが、人の世の機微にふれることができた。




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2008.08.13   ボットロップ 1



8月12日(曇り)
昨夜は疲れていたのか、シャワーも浴びずに寝た。8時50分発、9時10分着の汽車でボットロップへ。2連のアーチ橋を見学するには、この小さな駅からSolexで行くのが、一番楽だ。そのままこの駅からオランダに転送すれば良い。11時にはホテルに帰る予定。午後ははゆっくり観光をしよう(針の穴を通すよな見事な計画)。田舎の駅には職員は、2,3人いるが、みな普段着の若者で、バイト学生といった雰囲気。

たしか、女性の職員さんに橋の位置を確認したはずだ。そうすると親切にも男の子が割り込んできて、話し始めたが、実は皆このあたりのことは詳しくはなく、「あの辺りで人に聞け」が結論だった。
女の子はどの指にも指輪をしていたはずだが、次に起こる「事件」のため、すべての記憶が曖昧である。一方、小荷物係のおじさんは勤続数十年という感じで、茶色で、白衣のような形の作業着が実によく似合っていた。彼の姿や立ち居振る舞いは、目に焼き付いている。

数分の窓口での応対のあと、「今日が土曜日であること」、「土日は貨物は移動させないこと」がわかった。しかしそんな世間話はどうでも良いので、Solexを早く出してくれという僕の要求が、彼に通じるのにも数分かかったはずだ。ドイツ訛りの英語と和製英語の応酬では致し方ない。3回話を繰り返し、最後に彼が「月曜日に来い」と言ったところで話が理解できた。

まとめるとこうなる。@Solexは貨物の集積駅オーバーハウゼンにある、A月曜の朝にこの駅に配送される、BDB(ドイツ国鉄)のルールなので変更はできない。付加情報、C月曜日には、僕はオランダのロッテルダムにいるはずだ。さらに、D日本国文部省のルールで、日程は極力守るべきで、国境通過日が異なる場合はパスポートのコピーを添付し、事後的な変更理由書の提出が義務づけられている(バカじゃないかと思うが本当の話)。

5項目を瞬時に理解するほどの知能を持つ僕でも、解決策はない。「デ、デ、ボクハ、ドウスレバ、イイデスカ」「キョウシカ、ジカンガナイデス」。きっと必死の形相だったのだろう。田舎町であることが幸いしたのかもしれない。フランス人なら例のジェスチャーで「仕方ない」と答えるのだろう。ところが職人肌の彼は、いくつかの場所に電話を始めた。なかなか、結果が見えない。何分たったのだろうか、彼が決然と話し始めた。「次の汽車でオーバーハウゼンまで行け。荷物は引き渡せるように段取りした」。地獄に仏。会話は言葉ではないのだと改めて思う。

オーバーハウゼンは大きな町である。駅の横に映画館があり、Bruce Leeのkung-fuをやっている。特にドイツは空手が大流行しているようだ。来週の上演予告を見ると、ポルノ映画らしい。子供向けの映画館のように思えるんだが・・。「来週来てみようか」などと気軽なことを言ってみる。10時過ぎ、Solex と再会。

勢いよく飛び出したのはよかったが、エッセン(人口70ルール工業地帯の中心地)に着いてしまった。近くで遊んでいた子供達を呼び止める。タバコを咥えているのがガキ大将だろう(全く恐れ入る)Do you speak English? と聞くとYesと威勢がいいが、それが彼の知っている英語のすべてであった。挙げ句の果てに「あさっての方向」を教えられる。探し回るが抜け道がない。引き返す時ガキ大将に会ったので、文句をいうと、真剣になって「絶対自分が正しい」と言う。全くのデタラメでもなさそうだ。実はまだ「事件は起こっていない」

柵のところで、小学校4,5年くらいの男の子と女の子が遊んでいた。女の子は少し、英語が通じる。父親なら場所を知っているとのこと。アトリエのような所に案内される。父親は、戦争のためか事故のせいか右腕がない。事情を話と、娘の背中に、僕のメモ帳をあってて、上手に地図を書き始めた(いつもやっているのか、二人の息がぴったり)。金髪に赤いワンピースの背中で、毛むくじゃらの太い左腕から、器用に地図ができ上がって行く。美しい光景だ。お礼にうっかり右手を出したら、僕の手の甲を彼の手が握った。彼女とも握手し別れる。親切な親子だ。住所を聞いておくべきだった。



後半へ続く

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2008.08.12   アーヘン・デュイスブルグ



8月11日(曇り)
7時9分起床。10分に電卓時計を合わせていたが、直前に目が覚めた(結構誰にでもあるはず)。なにか良いことがありそうな予感。デュイスブルグまで行く予定だが、小1時間で着くので、70kmほど西(ベルギーとの国境に近い)のアーヘンに寄ることにした。車掌が行先を訪ねるので、答えると「アーケン」と念を押された。英語ではそう呼ぶらしい。ただし、フランス語では、エクス=ラ=シャペル。柔らかな響きだ。

この町は、カルル大帝(英:カール、仏:シャルルマーニュ、みんな自分の国の王様だと思っているらしい)が王宮を建てて以来、フラン王国第2の首都となった。歴代の皇帝はここで戴冠式をするのが慣わしであった。町はこじんまりとし、いかにも古都の風情。町の至る所に、楽しい青銅の彫刻が置かれている。ブレーメンの音楽隊の像やベンチに座っているビール腹のおじさん。噴水を覗き込む少女。子供たちが楽しそうにそれらを追いかける。これほどまとまってあるのは初めてみた。

796年創建のロマネスク風聖堂や14世紀のゴシック風建築の市庁舎など見るべきものも多い。大学も有名らしく、こんなところに留学したいと思った(不思議なことだが、それまで一度も留学ということを考えていなかった。「日本人をやめよう」はよく思う)。少し回ってみると、工業も盛んな所らしい。人口17万にしては、活気がある。

13時過ぎ、ケルン経由でデュイスブルグへ。駅周辺にホテルはなさそうなので、Hbf-hotel に決める。フロントには珍しく、普段着の女の子がいた。オリビア・ニュートン・ジョンを小柄にし、その分お腹の辺りを引き伸ばした感じ。40DMでシャワーの付いた小綺麗な部屋である。廊下に橋の写真(ラインハウゼン橋)が飾ってあったので、オリビア(と呼んでおこう)に名前と場所を確認する。「知らない」、で終わりかと思ったら、台所のコックさんを連れてくる。議論数分。ようやく質問が理解される。速射砲のようなドイツ語で全く正確に道順が説明された(はずだ)。大体は理解できたと思う。まずは親切なオリビアに感謝し、ライン河へ向かう。

ノイエンカンプ、ホンベルグの2橋を見学。前者はドイツ最大の斜張橋らしい。中央まで来ると揺れがきつく、立っているのがやっとである。例の橋は工場の中にあるらしく、遠くからは見えるが、近づくと建物に遮られ探せない。空が、今にも降りそうだ。早々に切り上げて、デパートへ、チェスのコマを探す。その時初めて、「シャハ」と呼ぶことを知る。欲しい駒がない。

買い集めた新聞・雑誌を小包にして発送。晩飯を食いに行くが、映画館しか開いていない。昼型の町なのだ。ホテルの横のレストランで食事。寝る段になって、パジャマをケルンに忘れて来たことに気づく。一日潰してケルンまで引き返すか、パジャマを捨てるか。思い悩む場面だがそのまま寝てしまった。



ストリート・ファニチャーという言葉は、知らなかった。町の彫刻も、その後、よく見るので、特段この町が有名なわけではないかもしれない。しかし、古都に賑わいを取り戻す、いい仕掛けだと思った。遠くから見ると、あたかもそこに人がいるようだ。しかも、実際に周りに人だかりがし、華やいでいる。そこまでたどり着くと、次の彫刻が見えてくる。きっと点在する彫刻は、それぞれの視線の先に、観光客に見せるべきものを教えているのだろう。

この頃から、必死に橋の写真を撮ることに、執着しなくなってきた。所詮すべては撮れないし、大方のものはみたのだろう、「あの橋と同じ工夫だ」といった、価値基準が定着し始めてきた。それ以上に、町そのものが興味の対象となり始めた。もともと、繁華街横の路地育ちなので、雑踏に身をおくと落ち着く。この日も、午前中は彫刻探索をして楽しんだ。



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2008.08.11   ケルン



8月10日(晴れ)
雨で、旅程は台無しだ。もう一つ見たいアーチ橋があったのだが時間がない。急遽、デュッセルドルフ経由でケルンに帰ることにする。久しぶりに陽光うららか。13時30分着2時半目で駅の食堂で食事。ここルール工業地帯の商取引の中心地である。みんな働いているし、いかにも日本商社マンという人も見かける。ラインに架かる3橋もずいぶん近くにあり、歩いて回るのには最適だ。河畔にサッカー練習場が4面あり、子供達が楽しく試合中。

一度、Hbfに戻り、Agfaというフィルムを買う。店主にこれが一番とすすめられた。Solexをとって、景気づけにビールを2杯飲んで、地図を確認し、17時丁度、郊外のフレー(Flehe)へ。ここに、今日のお目当ての建設中の橋がある。田舎に忽然と逆Y字のコンクリートの塔が見える。桁は鋼。日本では、鋼材のメーカーとPCの会社が共同することが少なく、なかなかこのような複合形式の橋がないので、新鮮だった。薄暗くなるまで橋の周辺をうろつくと、デュッセルドルフの医大生という若者が、熱心に橋の写真を撮っている。あとは皆夕涼み。「どこから来たの?」という彼の英語の質問をきっかけに、色々と話は弾む。今覚えば住所を聞いておけば良かった。

20時過ぎ、ケルン着。20時過ぎ、ケルン着。6日について今日(10日)に戻ってきたのに懐かしい。この町に、何となく愛着を感じる。大聖堂の横で、食事。帰宅の途中、ヒッピー風の2組がギターケースを広げ、ビートルズの曲を歌っている。多くの若者が、夏の間こんな風にしながら旅をしているというが本当だろうか。南仏で、街角でバイオリンひく女性がいた。大学生くらいだと思う。無条件に、小銭を彼女のバイオリンケースに投げ入れた。バロックの響きが美しかった。

この連中は、いかにも小汚い感じだ。僕自身ビートルズ・エイジなので、下手なHelpだのTwist and shout では、納得できない。暇だし、10位の人はずっと聞いているので、付き合う。だんだん調子が出てくる。終わりの方で、Yesterday と Let it be を歌ったが、場所が良いのか。大聖堂と不思議にマッチして、歌が町に染み込んでいく。座り込んで聞いていたカップルの女性は、涙を流していた。そのこともあって、感動的であった。持っていた小銭は全部置いてきた。




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2008.08.10   ハンブルグ



8月9日(雨)
8時半ホテル出発。曇り。見学日和だ。しっかり朝食を食べる。アルトナ駅でSolexを取って、港へ。世界有数の港湾だけにとにかく広い。最新の名所が、今日の目的地ケールブラント橋(斜張橋)である。雲行きが怪しい。対岸の島のような所にかすんで見えている。海底トンネルで行けるのだが、低速車は通行禁止。大きく迂回して近づく。10時激しい雨になる。雨宿りするところもない。カメラが気になる。ジャンバーを脱ぎ、カバンをくるんで、ビニールガッパの懐に押し込む。これ以上進むのは無理だ。出直すことにする

トラックがかなりのスピードで往来している中を、飛ばす(といっても全速の自転車よりは遅い)。全身ずぶ濡れである。手もかじかみ、はく息も白い。すでにホテルは引き払ってある。もう一泊は予定していたので、観光案内所に飛びこむ。ポケットの金をカンターに並べたので、2Mだか5Mを取られるが、正確な額は不明。直ぐに部屋が決まる。いよいよ体が冷える。歯はカチカチいうし、唇はすこし紫。部屋に飛び込み、シャワーを熱くして暖める。

横になる。天井を見つめている。カメラは濡れていない。下着は乾きそうだが、ジーンズは無理。着替えはケルンなのでこれを着るしかない。「どうして、夏にこんな冷たい雨が降るのだろう」「どうしてこんなところで寝ているのだろう」「もっといい雨具を用意すべきだった」何を自問しても落ち込む。いや、自問すること自体が弱気になっている証拠なのだ。一人旅というのは、沈み出すと、底までいってしまう。部屋まで陰気に思えてくる。1時まで休む。

こうなったら、意地でも行くしかない。Solexが無理なら、バスで通り過ぎるだけでもいい。「とにかく写真を撮る」。ハンブルグに来たことが一枚の写真で報われ、意味をなすような気がした。こんな場合は、自分が納得できればそれで良いのだ。駅前広場に行き、2時発の観光バスに乗る。コースの中にこの橋が入っている。ようやくバスが走り出した。カバンを覗き、カメラを点検。スライドフィルムをケルンに置いてきたことに初めて気づく。「一体、何をしにここへ来たのだろう」


やはり若かった。世界が見えていなかったという点でも、真剣だったという意味でも。今なら準備していくので、雨くらいでは事件は起こらない。起こっても、「明日また来よう」とか「3年後にもう一回来ても良いな」ですべては氷解し、旅が続く。しかし、若い旅だけが、強烈な「想い」を運ぶ。この場合だけは、「旅」は「人生」と置き換えてもいいだろう。失敗が人を鍛えるのだ。しみじみと「敗北を抱きしめる」ことは、生きる希望を育てるというこでもある。

橋の勉強をしたいと、いつかどこかで明快に決めたとしても、それは単なる表出の時期を示しているに過ぎない。私の中でまずは、「ほの暗い想い」がこの時生まれたはずだ。それがある時は「意地」となり、ある時は「情熱」と思えることになる。いや、あの時だけではないだろう。この旅の様々な橋との出会いや「失敗のドタバタ」が少しずつ、心の底に沈殿していったはずだ。

それにしても、ドイツの近代橋は面白かった。デザイン(意匠)ではなく、案件の技術的解決法が良識的な点だ。日本人はドイツから多くを学んだはずなのに、どうしてこのような美風を学んでこなかったのか不思議でならない。

最近、大学院で「ナントの1本柱」の話をした。恐らく、真意は伝わらなかったと思う。しかし、この旅行記を書きながら、この時思ったことも含め、きちんとした話を大学院生にはしておきたいと思った。「橋梁設計論」という講義はできないだろうか。もうひとつ、「土木都市・パリ」を教養で講義したい。大事なのは、「想いを伝える」ということなのだから。


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2008.08.09   ケルン・ハンブルグ



8月8日(雨)
7時起床。昨晩荷物整理の計画は立てたが、実行は朝。バタバタ、仕分けし。おばさんに荷物を預ける。朝食をすませ。軽装で、8時の汽車に飛び乗り、ハンブルグへ向かう。快調。せっかくケルンでも天候が回復してきたのに、徐々に空が曇ってくる。今にも降り出しそう。ただし、こういう雨の情景は、梅雨時の日本の好例として出てくるものだ。彼らにも判るだろうか。しっとりとした趣でこころが落ち着く。

12時18分着。北の国際貿易港は雨。海に面した町とばかり思っていたが、北海からエルベ河を110km南に入ったところにある。駅裏をうろつくが、結局駅前のかなり立派なホテルに宿泊(緊張気味)。細かな雨が降り続き、時として激しくなる。町の正式名称は「自由ハンザ都市ハンブルグ」。連邦制のこの国で、市そのものが一つの州になっている所である。人口は180万。ベルリンに次ぐ大きさで、まさに初めて訪れたドイツの大都会である。

3時まで待って、Solexを取りに行く。ここでは、さすがにHbf以外にアルトナ駅という貨物専門の駅がある。そこまで取りに行く。出るとまた、降り始める。世界的に有名なレーパーバーンという歓楽街は町の反対側(港の近く)らしいので、探そうとしたが、雨音が強くなる。フランスで懲りたので、雨の時は動かない事にし、大至急Hbfへ戻り、近くをぶらつく。近代的なビルが立ち並び、日本の都会にいるような気がする。

観光客も雨のせいで、商店街を覗く以外にすることがないのだろう。喫茶店にはいる(といっても100席以上ある大ホール)。満員である。4時過ぎているが、おやつ時なのだろう。ケーキやソーセージを食べている。おばさん2人が座っている席に相席で座らされた。横を向いてボンヤリしていると、なんだかホームシックになりそうだ。

近くの文具店のウインドーを見ると、立派なチェスセットがおいてある。欲しいのだが荷物になりそうなので、最後の日まで我慢する。将棋と違い、チェスのコマは彫刻なので、良いものは幾らでも手を入れることができる。遊び道具ではなく調度品だ。木彫りの手になじみそうなコマを買うべきだと思いつつ踏ん切りがつかない。ゾーリンゲンのハサミや裁縫セットもおいてあるが、これもケルンが本場に近いので見るだけにする。


小林の旅行の法則で、「欲しいと思ったら必ず買え」というのがある。何度か失敗した。思い出の中でのみ生き続けるものがいくつかある。もちろん、旅は「思いを残す」事も大事なので、すべてを手に入れるのは良くないとも思う。

ただし、どこにでもあるはずのものが、帰国直前には見つからない。見つかっても、「あの時のもの」とは明らかに感触が違う。「仕方なく買うのは辞めよう」も鉄則。帰ってきて、「これじゃないよね。あれ惜しかった」と誰にも理解されない繰り言をする羽目になる。最近は自分へも他人へもお土産を買うのはやめたので、このような心配はしなくなった。

結局、チェスのコマはパリで2箱買って帰ったが、誰ともする機会もなく、押し入れに眠っている。今朝急に思い出したので、盆休みに探してみることにする。余談だが、チェスは後半が単純なので、定石の変化をどれだけ正確に知っているかが重要らしい。先手は勝ちを目指すが、後手は引き分けを目指す。こうなると、完全にコンピュータで代替可能だろう。実際そうなっている。私が、急速に興味を失った所以でもある。

この時点で、Wiener Schnitzel が「ウイーン風仔牛のカツレツ」というとことまで突き止めた。問題は2つある。@Schnitzelはカツレツ一般を指す料理名であるか否か。AエスカロップはSchnitzelと1対1で対応しているのか。何とかエスロップと地名や奇妙な形容詞が付くと、ありとあらゆる肉料理に変わる気がするが、それはまたフランスに帰って再調査となるだろう。

今振り返って、面白いのは、大体この頃で4週間が過ぎた所である。初めて、日本はどうなっているだろうと思った。雨に煙る森の風景を眺めたせいか、日本と変わらないビル群を見たせいか、単純に人恋しくなったせいか。ネットカフェを覗けば、今日の日本情報がとれる時代には理解できないかもしれないが、新聞を見ても雑誌にも、日本の事など1行も出ていない。しかもドイツなので、その類のものを見ることも諦めた。唯一、TIMEを立ち読みしていたが、アメリカ情報しかない。

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2008.08.08   ケルン(+ボン)



8月7日(晴れ)
8時半起床。近くの銀行で、円のTCで3万円を換える(大体1DM=100円)。ドルを出すより、換算が楽なのだが、端数の小銭が、ちょっとずつ増える。毎日円高が続いているらしい。元が大きければ、これで一儲けということなのかもしれないが、1マルク増えたくらいではどうにもならない。フィルムがを使い切ってしまった。サクラのスライド用2本、普通1本。もと多く持ってくれ済んだと思うと、自分にウンザリする。

Solexを受け取って、下流のレーバークセン(同名の橋あり)へ。工業地帯なので、トラクが飛び交っている。11時半着。写真を取りまく打て、ケルンへ引き返す。次は上流のボンなので、大至急腹ごしらえ。目につく所にマクドナルドしかない。ドイツの町は動いている。みんな働いている。店も観光客だけではなさそう。

久しぶりにスキッと晴れた。途中道を間違えたが、3時過ぎには到着。川沿いに3橋を見学。のんびり歩く。川沿いの大きな公園で、子供たちがサッカーをしている。この国のサッカー熱は日本の野球の比ではない。プロチームも完全に各都市ごとのクラブが運営しているらしい。この地方主義は徹底している。デパートに行っても、その町のチームのユニホームやチームカラーでデザインされた帽子、マフラー、服等しか売っていない。

ボンは西ドイツの首都だが、ドイツ人にとっては、あくまで仮の首都であるという。一国の首都にしては、風格がない。小さく静かな小都市である。ケルンの人口が100万で、ボンは30万らしい。5時過ぎに3橋見学を終了し、べートーベン・ハウスへ。旧市街の北部ボンガッセという小さな通りの真ん中にある。ゲーテ・ハウスと比べれば、いかにも庶民的。楽聖誕生の場所は、3階の小さな屋根裏部屋で、大理石の胸像だけが置かれている。その間素さに、少なからず感動した。丁度ドイツ人の母娘と並んでみていたが、彼女たちも感激していた。

6時ボンのHbfへ(北ドイツのハンブルグへ送る)、2レーンしかない小さな駅であるが、レストランは立派。まず、駅前の果物屋で、スモモを「Zwei kilo」2個というのが上手に通じていない(失敗、ま、良いか)。バカみたいにたくさんのスモモを抱え、夕食。シュニッツェル(ついにガイド本で、日本語を発見、カツレツ)、スープ、白ワイン(ほのかにブドウの香りもして美味い。もちろん、お代わり)。

8時汽車でケルンへ。2日間はラインを離れるが、この部屋がすっかり気に入ったので、2日後の予約をし、鞄は預け、下着だけを持って行くことにした。準備完了。10時だ。フランスなら、今から冷たいビールをキュッと飲みに行くわけだが、ここは違う。働き者の国なので、10時には食堂は閉店。9時半頃に、追加注文すると、全く愛想のない顔で「終わりました」とくる。外は、ジャンバーで良いくらいの気温。仕方なく、マクドナルドで、ビールとポテト。プラスチックの容器にぬるーい液体が入っている。「検尿コップか」とつぶやく。さすがに、半分残して出る。せっかく美味い白ワインで酩酊し天国で遊ぶ心持ちでケルンに帰ったのに、ドイツで、ビールで、一日が台無しになるとは、スモモを3個やけ食いして寝る。


3橋の詳細を書きたいが、データが見つからない。出来れば、写真もupしたい。
ようやく好例の隔年、人間ドックも終わるが、11日の宮崎出張まで何かしら、仕事が続く。

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2008.08.07   コブレンツ・ケルン



8月6日 日曜日(曇り時々小雨)
8時30分起床。9時半出発。10時37分、ケルン到着。駅裏でホテルを探す。民宿風のホテル。バスもシャワーもいらないというと、フロントの奥の離れの様なところに入れられる。かなり広く、ベッドのシーツもブルーのチェク柄で明るい。今日Solexを乗り回したいところだが、明日が本番なので、今日は取りには行かず、駅に置いておく。夜中に置き場が見つからない。日曜なので、ちょっとした土産品店とレストランしか開いていない。ウィンドー・ショッピングをしながらライン川の出る。どこから見ても2塔の強大なDom(大聖堂)が見える。圧倒的な量感だが、どこか品がない。ここでも、ようやくパリのノートルダムの繊細な仕上げが見えてくる。

今日の大物はSeverin橋だ。小雨の中河畔を歩く。1主塔の非対称の斜張橋はDomと塔が重ならないようにという配慮らしい。これは、一見景観的な配慮のように思われがちだが違う。敢えて岸川に塔を寄せ、反対側にも同じような塔を建てれば、中央径間を従来の2倍にした斜張橋が実現可能だ。彼らは技術的な展望を持ちつつ径間を考えている。ホーヘンツォレルンの鉄道橋はもっとハッキリしている。3つの橋は全く同じ外見であるが、近づけば、リベット橋、ボルト橋、溶接橋とそれぞれに部材接続の方法が異なる。

まずは、ラインとDom(つまりはケルン市)のバランスに注意し、橋の形式を考える。併橋が必要になれば、原則、姿は同じものとするが、技術革新は追求する。技術が景観を補完する。同じくケルン・ドイツ橋(鋼床版橋で、これ自体有名)の拡幅はPC橋の併橋だ。どうなるか工事を眺めながら胸が躍る。このような町であれば、橋梁設計は生涯の仕事たり得るのだろう。やって見たいと正直に思う。

ケルンは大物が出ない土地として有名らしい。マインツならグーテンベルグ、トリアー(モーゼル川上流)にはマルクス、ボンがべートーベンで、フランクフルトはゲーテ、デュッセルドルフ・ハイネ、そして、すてきな町コブレンツはメッテルニッヒの出身地である。ライン河は人材という面からも豊かな土地なのだ。ちなみに、ケルンとはcolonia(ローマの植民地)であり、古代からの交通の要衝で、かっては、ドイツ最大の都市だったらしい。コロンがフランス読みで、ケルン水(オーデコロン)はつとに有名。

2時頃、喫茶店のような所で、スープ(野菜や肉がたくさん入っている。これだけで十分)+ピッザ(辛いうえにやたらと大きい。最悪)。残せばいいのだが、そういう教育を受けていないでの、平らげる。苦しい。郵便局でハガキを出して、ホテルへ。4時から休憩のつもりが、8時半まで寝てしまう。カメラ2台の歩行は疲れるし、小雨では、仕事にならない。どうせ今から、駅表に行って、ビヤガーデンで、ソーセージ+ビールになるはず。


スナック類。ソーセージ、ポテト、ピザ・・・が豊富なので、レストランに行かないことが多い。朝食がしっかりしているので、昼食がいい加減になる等々で、ドイツに入って、
夜の一人宴会はなくなった。北国の食生活は、当然のこととして、観光客の食行動をも規定する。

蛇足:ある日ケルンを再訪したことがある。早速、ケルン・ドイツのPC桁を見に行った。旧橋の鋼床版と同じ桁高になっている。橋梁のことが少し判れば、技術的に偉大な挑戦であることは理解できるだろう。その結果は見事という他はない。どちら側から見ても一つの橋にしか見えない。この発想自体が、30年前と変わらず、ケルンの技術者が持っているモノだろう。日本では、何の意味もなくPC桁橋を架ける。しかし、その平凡な行為にさへ、挑戦はあり得る。「考える」とはそういうことでなければならない。



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2008.08.06   コブレンツ



8月5日(晴れ)
8半起床。9時半に郵便局で小包投函。銀行は閉まっている。一体今日は何曜日だろ。Hbfへ戻って両替。今日はモーゼル川を上流に向かう。11時過ぎには本日の目的地 Moseltal橋へ。高速道路用の高橋脚桁橋だ。余りにも細い。やはりこれは日本では建設は無理なのだろうか。気をよくして、更に上流へ。もう一つ橋があるはずなのだが、所詮調査が甘いうえに、斜張橋以外は、気合いが入っていないので、探し出せない。コブレンツからは80km以上離れている。3時ホテル帰着。

昼は何も口にしていないし、これ以上橋探しをする気もしない。ドイツ・エッケ(公園)で、ソーセージとビールで遅い昼食。対岸までいって観光と思っていたが、昨日チェスをやっていた連中が今日もやっている。仕事は休みなのだろうか。公園の藤棚の下に、8×8の25センチ四角(くらい?)の薄い煉瓦色と灰色のタイルが貼ってある。そのマスの中に小さな椅子くらいの木のコマが並べてある。歩き回り、喋りながらほどほどの体操にもなりそう。王の形は丁度座れる細ながの脚立。実際に自分の王に座って長考している。

昨日も僕はチェスがしたくてならなかった(大学院時代に研究室でちょっとしたブームがあった)」。それが顔に出ていたのだろう。一番終わったところで、大学生風の若者が、「やろう」と誘うので、2番。連敗であった。白番(後手)の時は勝勢だった。さすがに彼らの終盤の棋力は立派。途中まで観戦していた、キオスクのおじさんは、僕の負けを読み切ったのか、そそくさと店じまいし、大型のVWで帰って行った。「大学生か?」と聞かれ、面倒なのでYesと答えた。大学は休みなので、ヴァカンス中とのこと。楽しい夕刻であった。10個くらい願いが叶うなら、10番目は「チェスが強くなりたい」にしたい。

モーゼル川は湖かと思うほど静かで、気品のある。両岸の小高い丘にはブドウ畑が広がり、車も少なく快適な旅であった。人口10万というコブレンツの町も、人が住むには最適な場所のようにも思える。すっかり気に入ってしまった。こじんまりとした川だ。夕食は魚に、グラスの白ワインを1杯(どうせ後でビールを飲む予定)。少し甘めだが、冷たいので美味い。


チェスに関しては、ドイツが楽しかった。町中でも、この街頭コート(?)があり、やっていた。建物の屋上からでもゲームの様子がわかる。パリの公園でもやっていたが、クロック(勝負用の時計)を使う真剣勝負なので、飛び込み参加という雰囲気ではなかった。ドイツはある種のホスピタリティに溢れた国であると思う。フランス人は、簡単には友人にはなりにくい。

ヴァカンスというのは、別荘を借りて1ヶ月のんびりすることではない。自分のやるべきことを一旦やめて、脳みそを「真空」にすることだ。だから、場所はどこでも良い。毎日公園でのんびりチェスをするのも、立派にヴァカンスだ。そして、私のこの旅は自分も築いていなかったが、ヴァカンスそのものであったと思う。小林式ヴァカンスの定義:@最初の1週間は、直前の仕事を忘れるため。A次の1週間は、今やっていること(旅行でもチェスでも良い)に夢中になること。B3週間目くらいになると、ある時急に、良い考えが浮かんできたり、仕事したいと思ったりする。日本人は、知的な仕事で生きていくのだから、3週間連続の休暇が絶対に必要だと思う。

ルーブルでは、大学生かと聞かれた。ポンピドー・センターでは、高校生ということで、無料で入場できた。とにかく日本人は若く見られる。女性なら、18で大丈夫ろう。良い意味で言えば、若く見えるからだ。が悪く言えば、本当に、仕草も、服装も、考えかたも幼稚だからとても大人とは思えないのだろう。

若者へ:人と話すときは、相手の目玉の穴が開くくらいの眼力で、見つめ続けること。それが出来ないのは、子供だからです。


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