空間情報デザイン研究室
空間情報デザイン研究室 小林一郎
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2008.08.05   マインツ・コブレンツ



8月4日(曇り)
昨晩、ビールを飲んだせいか、シャワーにも入らず寝てしまった。7時起床。入らなくてもどうということはないほどに乾燥した気候なのだが、ケチな根性なので入る(苦笑)。8時までに朝食を済ませ、タクシーで港へ。8時45分発に乗る。初夏の気候で、外気がすがすがしい。刻々と変わる対岸の風景を楽しむ。ドイツも風景の美しいところなのだと再認識。

昨日ガイド本を読んだ。知らない人たちは、ローレライの岩の馬鹿らしさにガッカリするだろうという、意地の悪い期待をする。大阪の人だろうか、「ただの岩やンケ!」と絶叫。その通りになりニンマリ。近くにいたフランスの観光客も失望気味(小さなウンザリ・ポーズ)。ドイツ人は、スピーカーから流れるローレライの曲に合わせて大合唱。僕も日本語で唱和「なじかわ、知いいらねーど、心わあびて」。まさにライン下りのハイライトである。色んな意味で、この岩は名所である。ないとは思うが、もし仮に再度この船に乗ることがあるならば、そのときには、日本語ではなく、ドイツ語で合唱に加わりたい。今日は、なんだか前向きだ。

1時、コブレンツ着。バスがあったので、Hbfまで乗る。iマークがあったが、人だかりがしていたので、寄らずに、近くのホテルに宿を取る。駅に行って、昼食を取り、Solex と再開。どうもシュニッツェルがエスカロップに近い気がするが、英語が通じない。3時半からNeubied(斜張橋)へ向かう。途中国道を進むが、Autobarnと同じ仕様らしく、トレーラの風圧は恐怖である。ドイツ技術陣屈指のデザインが目新しい。

5時にはホテルに帰る。時間があるので、散歩がてら、Deutches Eck (ドイツの角:モーゼル川とライン河の合流点の角地にある公園)へ。丁度北に向いた船の舳先ののような所、。この広場の中央には基壇だけが残っている。巨大な騎馬像は、5階建てのビルの程であったらしい。第二次世界大戦中に要塞と勘違いしたアメリカ人が、砲撃で壊滅したらしい。いかにアメリカの人間がモノを知らないかを示す記念碑らしい。Solex を次の町に送り。もう一度ここまで歩いてきた。夕日が対岸を赤く染め、静かで艶めかしい黄昏である。8時半から9時半まで夕食。心は穏やか。


コブレンツはフランス革命時に亡命貴族が住んだ所らしい。フランス的な町並みで懐かしい風景に思えた。ラインとモーゼルの表情もそれぞれに特徴があり、絶景と呼んでも良い。人口10万くらいだと記憶しているが、忘れられない風景の町だ。

フランス語では、fleuve(大きな川)、riviere(中くらいの川)、ruisseau(小川)を使い分ける。きっとドイツ語もそうだと思う。英語はどうだったか?要するに大陸では、海に流れ込む川(河)と川に流れ込む川は違う。『実業の日本社のブルーガイド海外版(1977年版)』では、これを使い分けている。「モーゼル川とライン可の合流点がコブレンツ」。歴史や文学の話題もかかれている。最近の本は、写真が多く、文字も大きい。要するに子供向けだ。著者の多くが、独文出身の人らしい。フランス版はもっと徹底していて、仏文の研究者が書いている。かなりマニアックで、ミシュランに近いかもしれない。

新聞も、30年前の活字は小さく、漢字も難しい。久しぶりに引っ張り出した文庫と比べても、知らない間に随分大きな活字になっていることが判る(その分頁は増え、値段が上がっている)。読者層が広がった分、程度がさがったということなのだろうか。それにしても、大人のレベルは確実に低くなっていることは確かだ。狂った若者が悪いのではない。余りにも我々大人のレベルが下がり、責任を取らなくなったのだ。なんでも「急がしい」ですませ、本質的な議論をしない。この原稿を書くようになって、しみじみそう思う。

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2008.08.04   フランクフルト・マインツ



8月3日(晴れ)
7時半起床。8時10分朝食。9時前、ゲーテハウスへ。すでに日本人の青年3人が入場待ち。9時からなので、近くの果物屋でスモモを4個買う。野球のボールより一回り小さいのだが、味かしっかりしている。ハウス内でも、日本人の団体客と遭遇。この町は、日本人観光客で溢れている。全然興味が湧かない。

11時15分の汽車で、マインツへ。12時着。この町から下流のコブレンツまで、ユーレイルパスで乗れる川下りの船が出る。ライン川にまとわりつきながら河口まで行くのが今回の橋紀行の主要な旅程である。船から橋を見るのも一興。この川には3つ大きな支流がある。支流(合流点の都市)を南(上流)から書くと、ネッカー川(マンハイム)、マイン川(マインッ)、モーゼル川(コブレンツ)となる(昨夜の学習の成果だ)。どの支流にも見るべき近代橋があり、訪れるべき都市がある。

駅と港の間は2kmどちらに宿をとるか、汽車の中で悩んだ末、動きたくないので、駅前のホテルへ。待ちには、2つの自慢がある。まずはDom(大聖堂)、次がグーテンベルグ。早速前者を見学し、次に印刷博物館(Gutemberg Museun)へ。すばらしい博物館であった。世界初の印刷機の模型、実演用の印刷機、世界各国の絵本や書物の展示、印刷技術の変遷の展示。2時間ほどたっぷり楽しんだところで、「地下で実演ある」の英語アナウンス。世界最初の印刷(バイブルの一節)を実演販売している。早速2枚買う。

この博物館は凄い。人口20万ほどの都市に、世界に誇るものがある。あるだけでなく、実演は単なる見せ物としても楽しい。しかし、これは、楽しいショーであると同時に、我々(特に子供達)にとって、知的興奮を呼び起こす出来事(イベント)である。人類が、文字を手に入れた瞬間を追体験するのだ。歴史の一大事件がこのような形で再現されていること、そしてこれが観光であること、興奮した。日本に博物館はないと思った。

博物館でいい気分になった。脳のそういった部分が刺激されたせいか、この町には書店が多いように思えた。早速大きな店に入る。床に座り込んで、絵本を読む。楽しいんで、4冊購入(6千円)。重い。久しぶりに本を手にし、のんびり町を歩く。


門司港の一角に土木史博物館ができるはずであった。10年近く前その委員会に出席していた(篠原さんが委員長)。そのとき、ミューズ論(というほど大げさなものではないが、委員長に気に入って貰ったの再度書く)を展開した。「ムージアムとは本来、詩や音楽の神ミューズの棲むところです。しかし、国によって、驚嘆すべき詩情の解釈が異なっています。
イギリスには大英博物館というのがありますが、これは自国以外の世界からかき集めてきた盗難品があります。パリにはルーブル博物館というものがありますが、これは彫刻絵画の保存・展示館です。ドイツにはドイツ博物館というのがありますが、科学技術の殿堂です。」

私は当然のこととして、内容はさておいて、パリのような博物館を所望したが、結果はちゅしになった。今も内容的にはドイツ博物館で、展示の手法も含め詩情溢れる土木博物館ができることを夢見ている。そしてそのときに、参考にすべき博物館を聞かれれば、1)イベントのすばらしいマインツの博物館、2)映像の展示手法の多様性そのものが目玉のナント城の博物館、3)さわって楽しいラ・ヴィレットの博物館をあげたい。

絵本は楽しいが、学生が愛読書や自分の人生を変えた本として絵本を出してくると、全く不愉快になる。将来結婚し、子供に世界の絵本を読み聞かせるのも楽しいと思った(誰でもそれに似たことは考えるらしい)。しかし、子供はお気に入りができると何度も同じ本を読みたがるし、外国の本を適当に読んでいると、昨日と違うとクレームが出る。つまり、日本語の本を粛々と読んでやるのが正解らしい。

三男は他の二人とは少し違っていた。こちらも3人目なので、すべてが適当。フランス語の勉強(もちろん自分の)に、Boule et Bill というシリーズ物の8コマ漫画を読んでいた。その場で訳していくのだが、直ぐに判らない単語が出てきたり、落ちがうまくつけられなかったりした。「どこが面白いと!」。相手は寝る気は全くない。こちらも、「もう一回よむバイ」などといいながら、横になって遊んでいた。彼の情操教育にも私の語学教育にも全く役立たなかった。

実はそのころ子供たちに人気の絵本の一つが、マインツで買って帰った「腹ぺこ青虫」であった。もちろん翻訳の方を読んで聞かせた。もう一つは、飛びだす絵本で、アルファベット26文字ごとの大文字を動かすといろんな所から、その文字ではじまる動物が飛び出してくるというものだ。この2冊を見る度にマインツを思いました。



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2008.08.03   フランクフルト・アム・マイン



8月2日(晴れ)
8時起床。9時半の鈍行でフランクフルトヘ。ライン川の支流マイン川沿いの町だが、東独のオーデル川にも同名の町があるらしい。大都会だ。Hbfの駅舎は立派な造りで、中には映画館まである。昨日は、同じ支流でもネッカー川であった。体調不良(下痢が続く)。単なる食べ過ぎではないかもしれない。動き回るので疲れる。昼は朝の残りのパンをかじる。本当にパンがまずい(フランスとの差を実感)。

早速、鋼アーチの専門家S先生お薦めのKaiserlai橋を見に行く。構造的には重要な橋らしいが、鋼の下路アーチはすっきとした姿のものが少ない。ここも中央分離帯があるので、反対車線には行けない。町中なので、交通量がものすごいが、とにかく横断する。Road-crossingというのは、かなり刺激的なゲームだ。ドイツに来て、道路網が整備されているためか、すぐに郊外に出てしまう。機動力が低いので、Solexは使いにくい。

ヘキストという化学工業の会社内に、自社の橋(PCの斜張橋)があるらしいので、探しに行くが、工場内には入れてくれない。遠くに見えているが、運河や壁に遮られ、橋の下に行けない。ようやくだ取りつくがどうということはない。時間ばかり食って、帰り始めたら17時である。地図上では植物園があるので、行って見るが、すでに閉園。1日動き回ったが、収穫のない1日だった。ゲーテハウスには、明日行くことにする。

駅近くの、selfで食事。サラダ、パン、ケーキ、リンゴジュース、ヨーグルト。晩餐とは言い難いが、食欲がない(実際美味くもないし)。このところ、朝が一番豪華だ。夜、スモモ3個とバナナ1本を夜食にする。久しぶりに果物三昧の日々。盛んにドイツ観光のガイドブックを読む。ライン沿いには町が点在する。日本系の会社も多いらしく、日本料理屋の数も多い。夜は人通りが少ない。みんな南国にバカンス中とのこと。10時には寝る。品行方正。


ソーセージで有名な町だ。確かに、スナック代わりのものや細長いパンに挟みケチャップを付けたものは、美味い。ここも、リンゴジュースが名物らしい。もちろんビールは本場。だが何となく、「本格」ではないという感じがした。戦災のせいなのか、元々工業地帯のためなのか、それとも、プロテスタントとは生活を楽しむ以上に克己し働くためなのか。はたまた、ローマから遙かに遠い、貧しい土地柄の故のことか。寺院にしても町にしても、全体に新しいと思う。

パリ、バルセロナ、フランクフルトどの国でも主要都市の主要駅では、町に向けて立派な駅舎が建っている。この造りがすっかり気に入った。産業革命とはエネルギー革命であり、その象徴が駅舎なのだ。市民が初めて自ら建造した王宮である。中世の王宮、裁判所、警察といった威厳のある構造物とは、異なる意図を持ったものであり、人々を旅に誘う巨大な広告塔でもある。ファサードはどれも立派なものだ。この町の駅も、多少格下ではあるが、悪くはない。最近、熊本駅周辺の委員会に出ているが、汽車を覆うだけの施設でしかない、駅舎は面白くない。所詮、通過するだけの施設だ。終着駅の旅情は格別だと思う。

ドイツ文学というものに興味がない。ゲーテは読んだことがない。そんな人の生家を訪ねるは、気が重いが、要するに橋以外にここに来た理由がないので、仕方がない。ドイツに入って特に目立つのは、アパートの小さなバルコニーを鮮やかな色の花々で、競うように飾る様子だ。少し、異様な気がした。仕上げの洗練を生活信条とするフランス人に対し、どこか違っている。その違いが、当時の私にはハッキリ判らなかったが、何とも言えない「居心地の悪さ」の原因であったのだろう。

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2008.08.02   マンハイム(+シュパイエル)



8月1日(曇り)
8時起床。胃腸の調子が悪い。国境を越えたとたんに朝食も、ハムや卵がどかっと出る。ついつい食べ過ぎてしまう。町中の橋(Mannheim Nord 橋、Ludwigshafen Hbf 橋)を撮るが、10時には終わる。辺りをぶらつきガソリンを買い、近くのスーパーでハンバーガーとリンゴジュース。店には水より安い缶ビールが並んでいる。いかにも旨そう。Solex がいなければ買うところだが、自重の日々である。午後はシュパイエル(世界史で習った地名だが何であったかは、不明)へ。

アウトバーンを走る。大型のトレーラーが120kmで過ぎていくと、吸い込まれそうになる。助手席からなにか叫んでいるが、意味不明。国道も高速も無料なので、区別はないと思うのだが、少し不安。大学3年の時の夏期自習は首都高速だった(単に神田の古本屋街をうろつきたかった)ので、結構高速道路のことは知っているつもりだったが、料金徴集ゲートがないというのは、すごいことだ。

探していたのは高速の橋だった。ケーブルは赤で1面つり。簡潔な構造に感心はするが感動はない。路肩にバイクを停めて、激しい車の合間を縫って、分離帯へ。また、車から何か怒鳴っている。確かに、どうやって帰るのか少し心配。約30分は横断のタイムングを計っていた。空は曇ってわが心を映すようだ。

帰りの道で、高速を降りたところの右折で、うっかり、反対車線に入ってしまってた。真っ赤なVWが正面から向かってくる。急いで路肩に突っ込む。女性運転手も車を止め、私が外人だと判ると、「solexでアウトバーンは行けない」とのこと。この国は、フランスのように放置ではなく、みんなで構ってくれるのだ。感謝。

帰りは道に迷う。町から1歩出ると畑が続く。近くで、農作業中の女性に道を聞く。Bitte Wo ist Mannheimとかやってみるが、向こうは英語で答えてくれた。Turn to th left!と言いながら右の方を指さす。「こっちですね?」と再確認し、右に曲がる。こういう人たちと話していると。語学力は向上しないが、自信は満々になる。

先ほども、小学校1,2年の女の子が二人遊んでいたので、同じことを尋ねたが、早口で息継ぎもせず、しゃべり出した。「マンハイム!先週パパとドライブしたけど、楽しかったよ。そのときは雨が降ってたんだ」と言っていたはずだ。第2外国語は全く役に立たないが、間違いなくあの子はそんなことをしゃべっていた。続きは隣の子に延々と説明するので、放置して去ることにする。チェスといって別れる(意味不明だけど、こんな場面ではみんなそういう言う)。とにかく、親切なのでありがたい。


Ludwigshafen Hbf 橋について3段で説明をしたい。まずは、Ludwigshafen。hafenは港のことらしい。ラインの河口から2千キロ上流のこの町はルードウィヒの港という町名である。いかに舟運が盛んで、歴史があるかが判る。河には船が行き交う。

次に、Hbfこれは、Hauptbahnhof(中央駅)の略。どの町でも大きな町はHbfがある。意外と便利なのだ。まず、都市名がいらない。熊本に来て熊本駅の話をしたければ、Hbfで済む。また線路が、駅に向かって、北上しているときには、まず、○○Hbfの前に、○○Sudという駅が出てくる。上熊本と熊本の関係なのだが、不勉強の旅行者にとってはうれしい。つまり、中央駅が近いことが判るのだ。汽車は、音もなく出発し、人知れず目的地を通過する。旅人は、いちいち停車駅を確認し、どこまで来たかを知らなければならない。ドイツ人は偉い。

フランスでは、リヨンの主要駅はペラーシュとパル・デューであり、リヨン駅はパリの主要駅だ。慣れているので、違和感はないが、初めての人は困惑するだろう。改めてドイツ人は偉い。さて、ようやくLudwigshafen Hbf 橋の話である。ここまでで予想が出来たら優秀。中央駅を横断する道路を駅舎の真上に造るには、斜張橋でつり上げるしかない。しかし、不格好な橋だ。機能的ではあっても美しくはない。

一方シュパイエル橋は構造合理性を追求した良い橋だと思った。逆Y字の一本の塔でケーブルの片側が河の中央の橋桁を吊り、反対側は川岸のアプローチ道路の中央分離帯の地盤に定着されている。遠くから見た景観は、周辺の平地の中に塔とケーブルが伸びやかに広がる。斜張橋はこのような平べったい土地に向いているのだと実感した。




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2008.08.01   ストラスブール・マンハイム



7月31日(曇り)
8時半起床。毎日寝る前に飲むせいか、夜中に目が覚める。9時に郵便局へ。昨夜、船便と書いたつもりが、手紙の癖でpar avionと書いてしまった。4000円ほど高い。中に入っている本や地図と同じくらいの値段だろう。汽車に乗り遅れるのが一番マズイので、素直に支払う。

11時15分の汽車に乗る。12時カールスルーエ着(時差が1時間)。直ぐに両替をすませる。最初の一日は、ストレスがあるので今回もちょっと鬱屈している。そろそろ、疲れがたまってきているのか、歩くのがだるい。早くSolexと会いたい(だんだん、旅の友になりつつある)ので、まずはマンハイムへ。マンハイムでは、駅前にホテルがない(駅自体が町はずれ)ので、500m以上歩いて2泊の宿を確保。

何とか英語が通じる。3万円が、310M(マルク)なので、1M=100円見当。早くなれる必要がある。一別して、「あ、大体手頃な値段」と判ることが大事だ。この辺りも戦後復興のせいなのだろうか、ホテルも新しい。フランスやスペインのように300年くらい前の旅籠に泊まるという感じはない。
この意味でも、日本に近い。さらに、何となくだが、テキパキ感があるように思う。駅でモタモタしていると「may I help You!」と私よりも大きな婦人に尋ねられた。荷物預かり場を訪ねる(折角フランス語で質問出来るようになったのに、また、英語で一からやり直し)。

もう一つ、規律という点で、最近の日本人に近い。あるいは結局、近代日本は英独を理想型として近代化したのだから、日本の暮らしのちょっとした事柄の多くが、この国をお手本にしているということなのだろうか。たとえば、観光案内のパンフ(赤と青の2色刷)が都市ごとに整備されているが、見事にパターン化している。日本語の文字もよく見る(和食店もある)。

早速、Solexで近くのハイデルベルクまで出かけるが、日本人だらけ。石橋もフランスで見慣れたので、どうという程のモノではない。小雨が降る出したので、近くのスーパーでパンとリンゴジュースを買って帰る。とにかくこちらに来てリンゴジュースが気に入った。レストランも閉まっているので、ホテル近くのスナックで定食を食べる。確かに大味。うまいとは言い難い。これからドイツ語メニューと格闘することになるのかと思うだけで気が滅入る。


確かにこの日は、スペイン初日よりは、遙かにストレスが少なかった。通貨、言語、慣習、ちょっとしたことに慣れるまでは緊張する。スペインで免疫が出来たせいもあるだろうが、ドイツはすべてが小綺麗で管理されているのを感じた。そのことが当面の安心感の原因だろう。しかし、慣れてくるとそのこと自体に違和感があった。「いつもどこかから見られているような」「極めて義務的な美しさ」といった感じだ。

たとえば、sex shopというのがあるが、ドイツでは公式の観光ガイドにきちんと載っている。女性の上半身裸の写真が載せられてあること自体に違和感を覚えた。この手の店は、フランスでもスペインでも歓楽街の中に公然と営業していてもおおっぴらな宣伝をしてはいない。「ある種の必要性を暗黙裏に認め合う」というのがラテン的なのだろう。一方、ドイツやアメリカといったピューリタンの国々は、国家が公式に「これは健全である」と認定しないと健全ではないのだ。そして健全だと判断されれば、レストランも土産物屋も演劇(硬軟各種)もsex shopも同列にパンフレットで紹介する。なにか、政治的な臭いがして好きになれなかった。

確かに、少しずつ、石橋の見方も判ってきているのかもしれない。橋の上の彫刻のゴタゴタは最後に見ればいいもので、アーチ、水切り、橋面、・・・。それくらいは判ってきている。私の場合、良いものを見てもその場では、ピント来ることは少ない。むしろ、有名だけれど、なんか変なモノを見たとき、それ以前に見たもものの価値に気づくことが多い。良いものも悪いものも見ておかないと良いものは判らない。



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2008.07.31   リヨン・ストラスブール



7月30日(晴れ)
(昨夜の続き)フロントに駆け込むにはこの姿ではどうにもならない。外側のドアの影に隠れて思案する。角にトイレがあるので、そこに入って考える。廊下の片側は窓で外が見える。反対側にズラリと部屋が並んでいる。隣の部屋から電話して貰うしかない。悩んだ末、意を決して、隣の部屋の扉に聞き耳を立てる。決然とノック。さらに強く叩く。応答なし。ガッカリする以上に、ほっとする。もう悩む時間はない。反対側の部屋の様子を窺うと、今度は、若い女性の泣き声。お母さんらしい太い声の女性が、叱責し、口論になっている。これでは、ノックのしようがない。

恥を忍んで、階段まで出て行くと、辺りに人の気配があり、あわて部屋の前まで帰る。ところが、途中、廊下に非常電話を発見。さすが大ホテルは設備がすばらしい。もっとも、話の発端は、大ホテルの設備がすばらしいことが2重に原因しているのだ。自分の身の丈に合ったホテルに泊まろうと反省しつつ、フロントに電話。タキシードを着たボーイさんがマスターキーをもって現れる。

結局、駅前のホテルは、2重扉にしないと騒音がうるさい。2重にすると暑くて寝られない(ここまで北上するとクーラーはない)。8時起床。風邪気味。すでにSolexは、マンハイムに送ったので、ソーヌ河畔をあるいて橋の写真。特段感想なし。

12時55分発、18時18分ストラスブール着。駅前の普通のホテルへ。直ぐに外出する気にもなれず、洗濯をしたり、風呂に入ったりして時間を潰す。日曜日らしく。レストランしか開いていない。
ホテルの1階の食堂で、夕食。まずはビール、野菜スープ、ニジマスのムニエル(エスカロップは食傷気味)、サラダ、1/4リットルのロゼ・ワイン、コーヒー。幸せは晩飯だけという日々が続く。


欧州議会のあるこの町まで来ると。完全にドイツ語圏だと感じる。パトリシア・カースというフランス人歌手がいるが、彼女は子供のころ家庭ではドイツ語を喋っていたらしい。団体旅行者というのも初めて見た。ドイツ人の観光客がバスを連ねてやって来ている。団体行動ができるということが特殊能力だとわかる。日本人と似ている人たちなのであろう。

結局リヨンもストラスブールもほとんどどこにも行かなかった。どちらも、有名な大聖堂があるが、10数年後に家族旅行をするまで、お預けということになった。さて、いよいよ、明日からドイツだ。フシェールを除いて印象に残っているのは、どこだろう。ルーアン・ナントくらいだろうか。もう一つ加えるなら、アヴィニョン。

アヴィニョンと聞くと今でも思い出すのは、実は町を出る日、駅で投身自殺(事故には思えなかった)を目撃した。走り抜ける特急に男性が飛び込んだ。一瞬の出来事だった。汽車に乗るために別のホームへ移動中であった。辺りは直ぐに人だかりが出来、そこから若いカップルがこちらに向かった歩いてきた。男性も落ち着かない風であったが、女性は泣きじゃくっていた。すぐに救急車の音がして、入り口から消防服にヘルメットを被った隊員が3人担架を担いで入ってきた。今となっては、夢であったかもしれないと思ったりしている。他のことであれば、好奇心が強い私は、当日の新聞を調べたりするはずだ。実際にそのような機会が何度かあったが、しなかった。今もなぜだか判らない。

もう一つ、ホテルの部屋のことを書いておく。通常、ヨーロッパでは、カップルで旅行することが多いので、部屋は二人用だが、一人でちょっと大きめくらいにしか感じない。それほど大柄な人はいないが、小太りの夫婦があの小さなダブルベッドでよく寝られるといつも感心する。ベッドが2つあるものも時々あるが、アヴィニョンの貸部屋で初めて見たので、2人用の部屋と勘違いした。

さらに、慣れてくると本当に便利なのは、ビデ。私は、足を洗っていた。お湯は出るので、イスに座って足湯が出来る。歩き回ると本当に足が疲れる。湿度が低いので、シャワーがなくても軽く顔をあらえば、2,3日は気にならないが、足だけは開放したい。リンゴ等の果物を冷やしておくのにも使えるし、水を張って靴下をいれておくのにもいい。本来の使い方も便利である。トイレが外にあるときには、夜中は、これをトイレ代わりにもした。30年前のことなので、書いても良いだろう。


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2008.07.30   アヴィニョン・リヨン



7月29日(晴れ)
一応覚悟はしていたが、3階の部屋でも、うるさくて眠れなかった。周囲、4キロくらいの壁に囲まれた町で年に一回開かれるお祭りの真っ最中なのだから、仕方がないと諦めるしかない。8時起床9時過ぎに駅への途中、郵便局で小包をだす。いい加減な女性局員と妙に熱心な男性新人の話はどうしても書いておきたい。

はじめ窓口には女性がいた。にこやかに挨拶し、「小包を日本へ」までは良かった。しかし彼女は「そんな国はじめて」といった感じで、大きな台帳とにらめっこを始めた。その間僕の後には、3,4人客が列んだ。すると別の局員の男性がやってきて、3,4分話し始めた。この間、みんな休憩。どうも、引き継ぎらしいのだが、全然違う用件だ。おもむろに男性が腰掛け、仕事を開始する。「で、何でしたか」と聞くので、はじめから同じことを繰り返す。パリなら内容を聞かれ、「本(割引がある)」とか答えて、終わる。3分もかからない。

ここに入ってきて20分は過ぎている。客もイライラし始めた。まだ、話は始まっていない。おもむろに「中は何」。「本」で済ませば良かったが、申請書には本と下着と書いてしまった。そう告げると、別の料金表の所を調べ始めた。「もし、宛名に配達されなかった場合、フランスに返送して良いか」と聞くので、「いや、どうすればいいの?」と訪ねる。「代理人はいるか?」しかたなく、父親の宛先を書く。「大分はオキナワか?」「は?!」「オキナワは日本とは違う扱いだ!」・・「税関はどこにする?」「?」「ヨコ・アマ、シ・モノ・ゼキのどちらかだ」「じゃ、下関で」と美しい日本語で答える。

列の最後尾の婦人が、「急いでくれないとお昼の買い物が出来ない」と文句を言いに来た。いよいよ彼らも限界に来ている。一端、次の客を優先し、僕は30センチ横にずれて、再度3通の申請書を書き始めた。下着というのは、本の間の隙間を埋めるためのモノなので、書くべきではなかった。「その服は、日本製か?」「は?」「つまりですね、あなたが、日本で買ったものか、新たにフランスで購入したモノか?」ですから「下着」ですと答えるが、かれはそれがどこで買われた物かが知りたいのだ。最後には、「使用セル1着の衣類」と書けとの指示。そんなものどう書くのかと思っていると、自分で書きだし、この通り残り2通も書けとのこと。

ようやく、宛先と内容物の確認が完了。いよいよ計量に移る。確認のため、また台帳の別のページと対話を始める。なにかブツブツ言っている。いつもの10倍の時間と1.5倍の料金を消費し、苦行は終わった。「メ・ル・シ」と皮肉っぽくお礼を言ったが、彼はすでに他の客の応対に忙しかった。先ほどの婦人が僕に向かって、両手を広げ肩をすぼめる例のポーズをする。僕もまた、同じことを彼女にして返し、「うんざりポーズ」と命名する。さらば、アヴィニョン

1時過ぎにはリヨンに着いた。車中一等の喫煙コンパートメントで、ゴロゴロしていると、男性が入ってくる。タバコを勧められたので、「吸いません」と答えると、ガムをくれた。二人でガムを噛みながら会話。大学生なので、ミナマタを知っていて、そんな話をした。彼は、かなりのドモリらしい。そうでなくても、聞き取りにくい言語なのに、吃音でしかもガムを噛みながらなので、pardon」のオンパレードであったが、ひさしぶりに長く喋った。別れ際に、見るべき公園はあるかと尋ねたら、Parc tete d’orと即答有り。ただし、聞き取れないので、メモ用紙に書いて貰う。早速出かけることにした。

先日来の寝不足もあり、部屋でゆっくりしたいので、駅前の、高級ホテルに一泊することにした(一泊160F)。すばらしい部屋である。夕食後、すぐに部屋に戻り、TVを見る。ニュースは何とかなる。バラエティも大体想像が付く。ただし、ドラマは全く判らない。多くが、会話劇。暇なので、部屋を見渡す。すばらしい調度である。なにしろ、ドアが2重になっている。部屋の内外からこの写真を撮ることにした。外からとって入ろうとしたら。扉が開かない。鍵は中。ジーンズを履いてよかったが、上半身は裸で、カメラを提げている。もう最悪だ。生涯最悪の一日はまだ終わらない。


昨日は2階と書いた。これは換算してはいけない。彼らが、2階といえば、フロアーに2と書いてる所に行けばいい。日常生活で、問題は起こらない。ところが、ある事情で日本人にその高さを説明する必要が出てくると、3階となるだけの話だ。運転も同じ、右なのか左なのかと考え出したら運転できない。「Keep Center」と皆に教えている。運転手は世界中どこで運転しても、道路の中央側に自分をもって行くこと。こういうのがユニバーサル・ルールだと思うのだが、観光ガイド本には、事細かに注意事項が書いてある。「右ではなく左」「2階でなく3階」

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2008.07.29   アヴィニョン



7月28日(晴れ)
若者は一晩騒いでいた。7時過ぎに起き、9時から周辺のホテルを探すが満室。仕方なく、Solexで走る。ようやく、探し当てたのは、ホテルではなく、カフェの2階の貸部屋。ベッドが2つ並んでいて何か気になる。「部屋代は二人分ですか」等と聞いたりした。気のよさそうな、女主人は、ビールを入れながら、「一人分で良いよ」。La Bonne Auberge(すてきな旅籠)と名前だけは立派。

忙しそうに働いているおばさんに、しつこくガール橋の行き方を尋ねると、カウンターでカフェを飲んでいた常連客が、後を引き取って説明してくれる。パン屋で、イチゴタルトとバゲット半分。これも「ドゥミ・バゲット!」と叫ぶと包丁をだして半分に切ってくれるが、残した方がいつも長いような気がしてならない。ちなみにビールの半分は500ccのこと。だが、彼らは、50cl(センチリットル)と呼ぶ。何でも2桁が基本というのは慣れると便利。

アヴィニョンの橋を見学し、ガール橋を目指す。10km(ちょうど半分)行ったところで、ガソリン切れ。2.3キロの登りをペダルでこぐ。Tシャツでも汗をかく。バイクもBidon(缶)も満タンにし、その後は爽快。風は涼しい。ガール橋には圧倒された。2層目から上をのぞくと、1780とか1603と書かれた落書きが見える。本当だろうか。第3層(てっぺん)に登る。自分がこの上を歩きながら、臆病者であることを思い知らされた。小学生の女の子でもでも20歳くらいの女性でも平気で手すりもない平場を歩く。「なるほど、ジャンヌの末裔なのだ」と了解し、私は四つ4足でもとに戻る。
河畔は、一大キャンプ場らしく、ビキニ姿の女性を探すがいない。大半は元気の良い高校生位の若者が、泳いだり、カヌーをしたりしていた。スポーツ大国なのだ。水辺に降りて、足だけ、水につけてバカンス気分を味わう。

5時過ぎアヴィニョンに戻り、橋の上まで行く。橋の上では踊れそうにないが、3人のイタリア人が踊っている。イタリア語の歌詞に微笑。いったん旅籠へ。シャワーは共有。早速いくと、すでに先客有り。直ぐに若い女性がやってくる。仕方なく譲る。彼女は今から芝居をしに行くらしい。なかなかの美人なのだが、こんな場所でも平気な顔をしている。「自分たちのグループは正式なエントリーはしていないが、勝手に来てやっているのだ」とのこと。半分素人集団らしい。後で、見に行きたいと言うと、道でゲリラ的にやるので、散歩していれば合うとのこと。国籍を訪ねようとしたら、先客の男性が出てきたので、また一人になる。彼女のシャワーの音を聞くのも変だし、かといって、次が僕であることを他の人には伝えたいし、遠巻きに外を眺めるフリをして待つ。

7時過ぎ、広場に出る。パントマイム、似顔絵、コント、どこまでが演劇祭関連なのかは不明。大道芸人の見せどころだ。人が多すぎてSolexを押すのに苦労しながら、食堂へ。フランス橋紀行はこれで終わる。明日は、リヨンに泊まり、あさってはストラスブールへ、そしていよいよドイツの橋紀行が始まる。スペインの例もあるので、あまり、フランスから出たくない。食事をし、Solex をリヨン送り、にぎやかな夜の町を歩く。水色の空が、群青に変わり、青みがかった黒になる。鮮やかな色の変化である。

この日は、旅籠で、ビールを2杯のみ、絵はがきを5枚(スペインの悪口を書く)。


土木関係者はまず、ガール橋を見るべきだ。当時も圧倒されたが、その後、何度行っても凄いと思う。全く意識していなかったが、パリ市内の石橋(ポン=ヌフやポン=ロヤイヤル)、トゥールーズのポン=ヌフやカタラン橋、いくつかの巨大な鉄道橋と石橋を見た後、この橋とアヴィニョンの橋を見た。石橋も面白いと思った。特に、フシェールで、彼女のお父さんが、近くにも小さな橋があると教えてくれた石橋を思い出した。フランスの小さな町を訪ね、そこにある橋と人に出会うのも一興だと思ったが、この時点でもなお、大聖堂への旅が最優先であった。

この頃、完全に私自身がバカンス・モードになっていた。列車から見え隠れする、キャンピングカーの列、水平線に浮かぶヨットの群れ。心地よい風も、潮の匂いも、すべてが浮き世を忘れさせる。高校生の頃、「サントロペの休日」という、ルイ・ド・フィネスのドタバタ喜劇がはやったことがある。地図を眺め、何とかそこまで行けないものかとも考えたが、ビキニ姿どころか、一糸まとわぬ人たちが、砂浜に寝そべっているらしい。今なら、ドイツは行ったことにして、この辺りで、のんびりを実践するのだが、そんな退廃は許されない。若いとは良いことである。



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2008.07.28   バルセロナ・アヴィニョン



7月27日(晴れ)
ホテルの代金も払ったので、スペインの通貨は小銭を残してキレイに使ってしまった。特急の車内で、9:55の出発を待つ。車掌がやってきて、「指定券が必要なので、窓口で買ってこい。自由席はない」。旅行カバンを引きずって急ぐが、窓口は長蛇の列。両替を先にしないといけない。二人で、片方が列べば間に合ったはずだが、2度列び、ようやく切符を手にする。結局10時10分の満員の急行に乗る。スペインの紙幣を握りしめ、4時間立ったまま国境を目指す。早くスペインを出たい。

2度乗り換えて、アヴィニョンに着いたのは6時。旅慣れた僕は、フランスに来ればこっちのものだと思っていた。ところが、今日一番の大仕事はこれからだった。小さな町なのに、人が異様に多い。夏のフェスティバルの最中らしい。「なるほど、これが有名な演劇祭か!」祭り好きの血が騒ぐが、例によって狭い路地の石畳をカバンを引きずりつつホテル探し。「Complet(満員)」の表示が玄関にあることに、4つめのホテルで気づく。安いところはあきらめ、★4つ位も見るが、すべてだめ。ちょっと大きな通りにでると、人だかり。3,4人の人が路上で芝居をしている。紙を配り、彼らの演目はいつどこで上演されるかを知らせる。楽しい。夏にパリに来て喜んでいてはいけない。

ようやく40Fで、朝食付く付きでシャワーもある部屋の落ち着く。しかも、2階で、道路沿いなので、町の様子もわかり、一息いれる。片言が通じるだけでも、フランスは落ち着く。8時半をぶらつく。城塞都市なので、町の中は宿が足りないのだろう。若者が溢れ人形劇も含め、あちこちで、演劇やダンスをしている。明日は、いよいよガール橋とアヴィニョンの橋を見るので、早々に切り上げて帰る。ところが、いったん寝たのに12時頃バイクの音で目が覚める。若い連中がまだ、大声で叫んだりしている。眠れない。


今頃、地中海沿岸は、何処も楽しい催し物が目白押しのはずだ。ニームやアルルの円形闘技場では、音楽祭や闘牛があるはずだ。オペラ、ジャズ、ポップス、自分の好みに合わせていける。カンヌの映画祭が有名だが、あれは、春で、別格。夏には、小さな町でもいろんな映画祭がある。スポーツ大会も目白押しで、世界のライダーが集結するときもある。

そんな特別なモノでなくても、骨董市だの、家具市だの市が立つと、車は動けなくなる。ワインや蜂蜜など、土地の産物を見るだけでも時を忘れる。こういう場所には必ず、FMのラジオ局が出てきて、のど自慢や会場中継をやっている。町の数だけ企画があり、それぞれの趣味の人が、自分にあった町々のハシゴをしている。しかもメインは、のんびりバカンスらしい。この時期ホテルを予約せずに、海岸沿いをうろつくのは無謀。ああ、旅行に出たいですね。



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2008.07.27   バルセロナ



7月26日(晴れ)
昨夜テレビもない部屋で、片っ端集めた観光パンフ類を眺めた。昨年少し勉強したスペイン語の感覚が多少は蘇った気がした。昨日の落ち込みようと比べると少し前向き。8時過ぎ起床。朝食をたっぷり頂き、部屋で用を済ませ、ノートに簡単な橋のスケッチを描く、「ポル・ファボール、コノーセ・ウステ・エル・プエンテ・コメ・アキ」コメアキはおかしいが、ま、プエンテ(橋)と叫び、絵を見せれば何とかなるだろう。出発だ。まずは、駅前にたむろするタクシーの運転手に尋ねる。

4人に聞いて、結局、あっちの方に歩いて行け。というのが結論である。なんか、お互いに良い加減なのだが、少しバルセロナが気に入り始めた。最初の塔は電信柱だった。日本並に電線が走っている。「カタルニアの空にくっきりと斜張橋のケーブルが映える」という訳にはいかない。次の塔は、煙突だった。確かに、フランスの町では駅の近くに工場が見えなかった。そんなちょっとした配慮が都市の表情を作っていくのだろう。とにかく雑多。

ようやく発見した橋は、小さな歩道橋。通行人に聞いたところ、Puente de la Glorias(栄光橋)。この辺りになって、思いつきの言葉で大体通じている気がする(少しでも勉強した事が役立つた)。10時には仕事完了。途中見かけた骨董市による。全くの古物だが、みんなまじめに仕事をしている。横の果物屋で、リンゴを1個といったら、1キロはかり始めたので、あわててフランス語で交渉する。相手はスペイン語だが了解したらしく。1個獲得成功。

おかしなモノで、重荷(目的)がとれたら、旅行は楽しい。いったんホテルに帰り、汗を拭いて、横になる。直ぐに元気になり、3時には、町歩き開始。暗くなるまで、あと6時間はある。ランブラス通りにでると、人の多さは東京とおなじだ。デパートも気取った感じのフランスに比べるとスーパーなみの気安さ。物価が安いので、ここでお土産を買いたいが、軽いものだけを選ぶことにする。
8時半−9時半夕食。ワインが少なかったので、また、バーによってビールを立ち飲み。


ブロトンヌ・ショックと呼べばいい状態だったので、その後どの橋を見ても「大したことはない」というのが決まり文句であった。ましてや歩道橋では、何のためにバルセロナまで来たのかと落ち込みそうになったが、気持ちを入れかえた。2国目の外国である。見聞すること自体が目的で良いはずだ。

バルセロナには、独特の雰囲気があった。是非もう一度、十分下調べをして来たいと思った。女性の服装は、どことなくあか抜けていない。薄汚れた感じさえする。しかし、14,5才の女性の美しさは上手く表現できない。少なくとも、黒髪で、色白で、小柄なのに足が長くて、鼻は高くて目はぱっちり、と来れば、日本人の美人の理想をすべて体現している。上品な感じがしないのは言葉のせいに違いない。

2日間の不案内な旅で、私は逆に、自分のフランス語が何とか役に立っている事を確認した。また、国によって雰囲気が大きく異なることも判った。「ラテンの国は皆同じ」というのはあまりに荒っぽい括り方だ。今回はイタリアには行かないが、スペイン同様是非訪ねたいと思ったのも、バルセロナからフランスへ引き返す汽車の中だった。


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