空間情報デザイン研究室
空間情報デザイン研究室 小林一郎
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2007.05.16   Activity report of professor Kobayashi


そんな感じのレポートを1,2枚で書けとのこと。
サンプルはというと、「ない」。
自由に書けということでもあるし、
そんなことにお手本がいるとは、「子供か?」と怒られそう。

講義、調査、討議、資料作成くらいで、日誌風で良いということになり,
作成の最中に、アパートの請求書も届いた。
21日は、部屋の検査と最終の支払いをしないといけない。
面会時間は16時で確定。明日から4連休なので、今日から撤収作業にはいる。

今週、調査旅行に行くので、来週もう1週間は、ナント大に残るが、
Cotte先生の単身赴任アパートにお世話になることにする。
何もしていないという気もするし、報告書を見れば、毎日良くやったという感じもする。
今朝は、少し片付けをしたので、9時半過ぎに出勤した。
学生が山のようにいたし、玄関に新聞も無料で積まれていた。

なるほど、8時に出勤し19時半に帰宅する生活をしていると学生生活は見えない。
新聞も買いに行くのは不可能とあきらめていた。
仕事できたので、今回はほぼ学生と会う機会がなかったのが残念。

a)速攻で、報告書を書いているところ。
b)先日、塩を精製する機械の修復とCGの利用について話す。

ということで、4日間このコーナーは休みます。






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2007.05.15   産業遺産の保存と都市再開発


ナントは、ロワール河の右岸にある。
町の向かいには大きな中之島があり、ナント島と呼ぶ。
かっての三角貿易の中心地なので、この島に大きな港があったらしい。

巨大なクレーンが文化財指定され、その関連の仕事をジャン=ルイがやっている。
コット先生と3人で、見学にやってきた。
寒いし、小雨が続く。まるで冬のようだ。

「これは私のクレーンだ」とジャン=ルイは胸を張った。良くこれを残したと思う。
ナントという都市は、見識を人物を抱えているらしい。

造船場やそれに関連した、機械工場もあり、面白いものを造っていた。
動く巨像。町の人気者らしい。これが、廃屋を再生した、巨大な建物の中を動くのだそうだ。
一部は、ロックコンサートの会場にもなるらしい。
港の歴史を記念した、工場の跡地の一部は、生涯教育の場となり、
コット先生はここで、講義をするらしい。

a)右岸からナント島を望む
  (左岸の大きな四角の建物が見える。
   ル・コルビュジェのアパート。

b)動く像
この夏には、中ノ島の中央に、機械仕掛けの動物たちのZoo が
 できるらしい。ナント人のオリジナリテは相当なものだと思う。



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2007.05.14   design の学校


午前中、デザイン学校 http://www.lecolededesign.com に行ってきた。
応対してくれた先生はアメリカに2年いたとかで、わかりやすい英語である。
小さな学校だが大変面白い。まず、ナントの商工会議所の経営らしい。
だから授業料は高い。しかし工業デザインの大学なので修士まであり、
学位は、他の工学系の大学と同じ(5年制)とのこと。

基本的には、まず企業から、新製品に関する相談が来る(説明段階)。
1年から3年までは、これに合わせて、学生グループがアイデアを提示する(提案段階)
企業がそれを検討し、可能な案があれば具体化について話を詰める(実現段階)。
この段階の学年では、意匠権等はすべて会社にある。

修士のレベルになると、学生が中心に考えるので、権利は学生側に移る。
実用化、具体化は企業なので、学生の仕事がデザインというアイデアを提示すること。
木工室まであるので、かなりの模型が作れる。
また、チームワークが多く、まずはphotoshopに自分のデッサンを取り込み、
色を変えたり、形を変更したりして、情報共有をしているとのこと。

授業中(作業中)のクラスも見学し、直接学生達を話した。
先生が、「英語の話せる人」といっても、手を挙げはしないが、「説明しなさい」というと、
私よりは、まともな英語で説明してくれた。修士の課題とかで、すべてパソコンで処理。
「言語を介さない感情伝達の可能性の提案」。「情報伝達の新装置を開発」というのもあった
(留守番ロボットのようなもの)」。さらに、「トランスフォーマ型台所」計画では、
台の上に草花が植えてあり、それが蓋になっていて、あけるとコンロや流しが出てくる。

隣の部屋では、授業中で、企業の人たち数人は、一番前に座って発表を聞いていた。
新しい、ベビーベッドの開発だった。部屋の心地よさとが、環境に配慮した材料とか、
トランスフォーマ型のアイデアとか、PPTを使い楽しそうな授業であった。
1年間なら、ただで受け入れても良いとのこと。誰か来る気ないですか。

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2007.05.13   塩の町にて

魚の塩漬け
魚の塩漬け
「塩の博物館を紹介したい」というコット先生とゲランド半島を訪ねる。
日本人に人気らしく、地の果ての博物館で日本語の解説文をもらった。
塩、魚、米作、日本そのものだ。服装等目に見える部分は異なるが、
感性の深いところで通じ合える気がする。

帰りに寄った海岸は、激しい風で、車から降りられない程だった。
ようやく外に出ると、小さな砂粒がパチパチと顔を打つ(頭の中も砂だらけ)。
水平線の彼方に、アメリカがある。まさに欧州の尽きる場所だ。
帰る頃には激しい雨になった。今年は、異常な天候なのだそうだ。

さて、塩の町の一角に、町の盛時を偲ぶ手がかりとして、塩を頭にのせた、
若い女性の銅像があった。背筋をスキッと伸ばした姿が可愛らしい。
帰りにもう一度振り返ったが、彼女の胸が何となく気になる。
通りを見ると、3人の若者が車を停めた。なにか様子がおかしい。

急に駆け出し、私たちに突っ込んできた、かに見えたが、目標は銅像だった。
二人は、銅像に抱きつき、彼女の胸を、黄色いメジャで測り始めた。
残りの一人が、素早く写真を撮り、風のように去っていった。
カメラを握り占めていた私も、同時にシャッターを切った。

私は、若者が女装したり、笑いを取るために裸になるといった逸脱が大嫌いだ。
それは幼児にもできる技だ。一方、青年らしい悪ふざけは許す。
通過儀礼として必要だとも思うし、決して子供がしない類のことだからだ。

この一瞬の出来事は、だから私には心地よい。フランスの青年達は、
昔も今も、全く正しい道筋を経て、大人になりつつある。


a)魚の塩漬けの様子
b)塩を担ぐ娘像 

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2007.05.12   ソショー 2冠を制す

70年ぶりの栄冠
70年ぶりの栄冠
コット先生のアパートで、夕食後、フランス・カップ決勝戦を見る。
マルセーユ対ソショー。事前の深夜ラジオ放送の電話投票では、
80対20でマルセーユ(OM)。昨年も準優勝のOMの力が上らしい。
しかし、我々は当然、ソショリアンを応援しなければならない。

両チームには個人的な思い出がある。この年になると、
今日のこの出来事を純粋に愉しむというよりも、過去の積み重ねとしてみる。
体裁よく言えば、コンテキスト(文脈)を読む楽しさということになる。
15年前のフランス・サッカーはひどい状態だった。JPP(パパン)が点を入れたのを見たことがない。

そんな時、マルセーユがUEFAチャンピオンズ・リーグを制した。
その晩のニュースでアナウンサーは感極まり、声を詰まらせつつ、
「ありがとうマルセーユ」「ありがとうフランス」と叫んだ。今も忘れない。
何故なら直後に、国内リーグでの八百長が発覚し、MOは2部にまで落ちた。

一方ソショーという名前はついに耳にすることがなかった。
ミュールーズへの途中、真冬にホテルに泊まった。陰気な町だった。
観光客で一杯のはずのホテルにビジネスマンが溢れ、重い空気を感じた。
後日、この町が自動車産業の中心地の一つであることを知った。

しかし何よりこの町を記憶は、ウエートレスさんのもてなしによる。
メニューが理解できない私に、歯切れ良く、歌うように内容を説明した。
彼女たちはプロなのだ(日本にはいない)。しかもデザートの時、レモン味のアイスを注文したら、
「2種類あるから」と両方持って来てくれた。暖かな冬だった。

その後、この地に赴任したコット先生のもとに、研究室の学生が2名、お世話になった。
二人とも当然、「サッカーならソショー」でなければならない。
私は、ソショーの彼女のテキパキとした姿を思い出しつつ、このチームを応援した。

好試合だった。前半すぐにOMが1点入れた。ソショーは攻めまくるが、
堅いデフェンスが破れないまま後半にはいる。やっと同点になったときは、ほっとした。
しかしドラマはまだ始まってはいなかった。延長戦の前半、またしてもOMが得点。
後半に暗い雰囲気が立ちこめたとき、ソショーがまた追いついた。

そして息詰まるPK戦を、しのぎ切ったのは黄色ユニホーム。
エースを欠いての試合だった。本人は背広姿で仲間と泣き崩れた。
誰の頬に光るものがある。8時半に始まった熱戦が、終わったのは11時を遙かに過ぎていた。
ソショーは若手のカップもすでに手に入れていた。同時優勝は史上2組目。
シラク大統領の本当の最後の仕事は、勝者にカップを授けることであった。
なる程、これをサッカーと呼ぶのか。これも日本には、まだない。

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2007.05.12   駅舎雑感 あるいは 楽しき日々


ようやく一段落。土曜なので話題はない。
6時に、コット先生を訪ねる。ようやく二人で、ゆっくり話せるだろう。

15年前、全くの偶然で知り合った。なんどか会ったが立ち話程度だった。
しかし、ポイントを定めた質問に的確な回答が返って来た。
答えられないことや複雑な話は、宿題とし、手紙やFAXを交換した。
いつも楽しかった。

その後、彼の自宅のガレージ(当時そこが書斎)で、3時間くらい議論した。
生涯最高の時間だったかもしれない。
フランス橋梁史は変更されると、互いに実感した。
彼の学位論文は認められ、今日の経歴に繋がったはずだ。
私も、それをもとに書いた2編の論文で論文賞を取ることになった。

素人ながら歴史研究を続けているのは、彼がいるからに違いない。
二人にとって、遅れてやってきた青春の日々だったが、
互いにあの日の情熱はない。雑務に忙殺される日々である。
特にこの国の人は議論ばかりしている。

彼は近々退職するらしい。
自分のことより、若い弟子に、海外を見せたいと言っていた。
今晩は、そんなことでも喋りながら、時が過ぎていくだろう。

さて、写真は駅舎2題

a)ナント南口
 右端が入り口、喫茶店、レストランが2軒、右端がホテル。
色を合わせるだけでも、落ち着いた佇まいになる。

b)サン・ナザール駅
 地形をうまく利用し、鉄道と駅前の道を下のレベルでそろえる
ただし、車で来たら、いったん階段を上らないと駅には入れない。
 駅舎から駅前広場へは、橋で渡る。バス停が並ぶ空間なのでわかりやすい。


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2007.05.11   その日が来た


昨夜は帰宅が8時半。寝たのが2時(スライド未完成)。朝7時から1時間で仕上げ。
「スーツだけどノーネクタイで」とのこと。似たようなカッコウの人が20人くらい。
広い会議室の名前は、ノーチラス。2台のプリジェクターがあり、同時に映写可能。
主には、技術史の専門の歴示家が集まっていたが、CADやデータベースに関する発表。

文系にこういう分野があることが本当にうらやましい。「港湾と関連の橋」がテーマ。
結構、橋のことも詳しいので納得する。しかし、若者がこの分野に食い込む余地は少ない。
情報系や機械系の人が、仮想博物館とか仮想橋梁資料館とかを提唱し、
新分野として定着させようとしているが、歴史研究の本道ではないと感じた。

「実現しなかった運搬橋」といった本格研究もあり、午前中は橋で盛り上る。
午前中最後に、「三角西港」の発表。準備不足もあり英語で発表。出来が悪い。
「地球の反対側で、そんなことやってたの」という感じ。静寂が走る。
同僚のジャン・ルイの質問 (感謝!) を皮切りに2,3の大まかな質問があり、終わる。

昼食会で、ブレストの研究者と知り合い、夏の再会を約束(科研のテーマそのもの)。
あとは、みんな仲間とゴソゴソ話している。日本人の取る行動と似ている。
ワインを飲んでしまったので、午後はぼんやり(頭痛の理由が途中で判明)。
情報系の話と、コット先生たちの本格議論が混在し、よくわからない。
5時終了の予定はほぼ守られて、5時40分には解散。

コット研(?)の5人は、町中のシガル(蝉)という老舗のレストランに集合。
コット先生が、指導しているDCの学生が2人いることが判明。仲良くなる。
一人は、退職後ボケ防止で学位論文を書いているNさん。ムーズ県の炭坑の研究。
もう一人は、機械の学生で、仮想博物館構想を研究中のF君。
研究会の続きの議論に花が咲く(こんな時、言葉が聞き取れないとを思い知られる)
白ワインが本当に美味しい、全員、楽しく酔い、ゆったりと車で帰宅。

a)港湾研究を発表中のジャン・ルイ(写真のみで、しゃべり続けた)
b)シガルの店内(アール・デコ調)


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2007.05.10   間口を広く


6時半に起き、食事と身繕いを済ませ、8時前研究室へ突入。研究者リストをコピー。
バス停に走る。駅まで40分。早速並んで、切符を買う。行き先も、往復も、2等も、
全部通じている。今朝はすべてが順調。古くからある北口から新設された南口に移動。
来週の4連休(5月は毎週連休)旅行用の車の情報を聞きに行くが、資料がない。

駅でもここでも、職員は端末モニターに出ている項目を客に聞き、穴埋め作業をするだけ。
全体を知りたい人は、別のどこかで情報収集するしかない。
結局、予約をしてしまった。あとは、行くしかない。まだ、地図すら買っていない。
周囲をぶらつく。30分前には駅に戻る(当面、時間厳守が最優先事項)。

切符は3枚もらった。1枚目は表紙(これのみ要検印)。2枚目が行き。3枚目が帰り。
表紙を読んでいると大発見、これを持っていると、
その日はTAN ,STRAN(行き先の町のバス)、等々は無料。TANはすごい。
しかし、検印後にしか使えないので、駅まで行くのは、別切符がいる。

無事乗車、改札は女性車掌さん(おおざっぱ)。切符を返してもらってしみじみ眺める。??
行きの券が午前と午後の2枚発券されている。片道切符を買ったのか、発券ミスか。
もう一度見直す。言葉が通じていないに違いない。帰りにまた買うしかない。妙に弱気。
ヒマでもあるし、帰ってきた車掌さんに尋ねる。「窓口で聞きなさい。往復のはずですよ」

着くと早速窓口へ。先客5組。順調に流れて、私の前の婦人の番になったら動かない。
1番窓口の係の女性が奥に引っ込んでしまった。右端はドイツ方面で乗り換えが複雑。
真ん中は3人組の陽気な親父達が受付嬢と観光談義に花を咲かせきりがない。
最後には、彼女も奥に消える。窓越しに二人の会話が見える。心を広くし待つ。

ようやく私の番になる。「そうねこちらのミスです」「帰るの何時」
「16時と17時を出しとくね」。これは切符を兼ねた、時刻メモなのだ。
間違いカードも「記念にください」というとくれた。この間口のひろさが。大陸的。
結局5枚の切符を持って帰宅。大学訪問は無事完了。

a) 窓口では、足は交差させるのが大事らしい(私もそうしたはず)
b)往復切符(確かに電車もバスも表紙を見せて、乗ることができた)



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2007.05.09   やってしまった。


今日の午後は、工学部の国際交流委員長との意見交換。
明日は、サン・ナザール(土木工学科はここにある)で、熊大土木の研究活動の紹介。
明後日は、研究会。最後の山場だが、三角西港のPPTの内容が固まらない。

コットはいう、「歴史的なことはいいので、評価についてまとめて欲しい」。
「初めから、そういえば熊本で作ったのに」と同じ言葉を今日も飲み込む。
部屋代も稼がないと行けないので、黙々とアブストラクトを一枚にまとめ、印刷する。
気がつけば、19時15分。これが、まずかった。

「読んだら、メモしてドアの下に入れておくので、食事に行きなさい」。
そうだ、7時45分には食堂は閉まる。食堂の写真でも撮っておこう。
「おみやげ」には、この宿堂のことでも書くとしよう。まだ余裕がった。
あとは、12時まで時間はタップリあるので、明後日のスライドも完成するだろう。

IHTの入り口に着いたのが、8時2分。外はまだ明るい。ドアが開かない。
20分間誰か出てくるのを待つ。しかし、建物の内も外も人の気配がない。まだ楽観的。
アパートのお隣さんは管理人。鍵を借りに行く。駄目かもしれなとい思い始めた。
「8時以降は、入るとアラームがなるから無理だよ」、「電気切るとかで来るでしょ」
「俺は知らんから、明日の朝、受付の人に聞きなさい」型どおりの話をする。
誰もが、部分をしか担っていない。知らないことは全く知らないし、駄目は駄目だ。

メモもパソコンも、すべてが明日の朝8時まで、忽然と消えてしまった。
要するに、何もできない。明日は朝から汽車に乗るのに、資料がない。
明後日のPPTはいつ作れというのか。一気に、血の気が引いてしまった。
仕方なく、部屋に帰り、ビデを見るか、音楽でも聞くことにしょう。
しかし私のデッキ (パソコン) はあの部屋にある。そんなことも解っていない。
ネットで、汽車の時刻も確認できない。「ああ、脳みそのどこかが壊れかかっている」。

まあいいか、ワインを煽って、風呂に入って、寝るしかない。


a) シェフのおすすめ(この時まで、充実した一日だった)
b) レジの様子(いまだにシュバリエで精算している。誰も気にしていない)



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2007.05.08   戦勝記念日


第二次大戦の戦勝記念日。シラク大統領最後のお目見え。
シャンゼリゼをコンコルドからジープで上っていく。行進も続く。
行進は革命記念日でも、ツール・ド・フランスも、凱旋門から下る。晴れ舞台。
しかし今日は、丘の上(凱旋門)の墓所に反対方向から進む。制度も風景も巧み。

A・アレというユーモリストの作品の中に、「イギリス人は不思議だ。ワーテルローでも、
トラファルガーでも、負け戦の場所を、町の至る所につけている。」というのがあった。
(フランス人がイギリスを訪問した感想)。

今日は戦勝記念日だが、本当にフランスが勝ち戦だったのか、と思ったりする。
夜には「史上最大の作戦」をTVでやるが、英米軍しか活躍しないはず。
不思議な国民である。とにかく強気で、芝居がかっている。
しかし、国のために亡くなった人たちを心から悼むというのは、国民として当然。

日本は自虐的で、敗戦記念日を祝う。「誤りは二度と繰り返しません」とまで言う。
これも、不思議な国民ではある。フランスの国防省管轄の大学が、理工科大学。
理系の秀才はここに集い、軍人としてシャンゼリゼの行進にも出る。
我が国では、防衛大学生が羨望のまなざしで見られることはない。
戦没者の墓所さへ、国営ではないらしい。日本は死者を称えない。

今日は、寒くて小雨、外出する気にもならない。散歩は中止し「遠すぎた橋」を見る。
それ以外の時間は広過ぎる居間で、インストールと撤退作業を同時にやっている。
軍人つながりで、先日行ったカンブロンヌ広場(cours)の写真を2枚。
Cours というのは道のように長く並木を持った広場のこと。本当にナントは公園が多い。

a) 確かに並木通りのような公園(夜間は鍵がかかる)
b) お屋敷
  ここのすごいのは、長四角の土地に、広場を作るに際し、
周辺の建物も一体化して作っていること。ベランダで食事をすれば、爽快なはず。
昼間は公共空間で、夜間は眺めるだけではあるが、住民ものになる。

カンブロンヌの一言については各自調査のこと。

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