2008.07.31 リヨン・ストラスブール
7月30日(晴れ)
(昨夜の続き)フロントに駆け込むにはこの姿ではどうにもならない。外側のドアの影に隠れて思案する。角にトイレがあるので、そこに入って考える。廊下の片側は窓で外が見える。反対側にズラリと部屋が並んでいる。隣の部屋から電話して貰うしかない。悩んだ末、意を決して、隣の部屋の扉に聞き耳を立てる。決然とノック。さらに強く叩く。応答なし。ガッカリする以上に、ほっとする。もう悩む時間はない。反対側の部屋の様子を窺うと、今度は、若い女性の泣き声。お母さんらしい太い声の女性が、叱責し、口論になっている。これでは、ノックのしようがない。
恥を忍んで、階段まで出て行くと、辺りに人の気配があり、あわて部屋の前まで帰る。ところが、途中、廊下に非常電話を発見。さすが大ホテルは設備がすばらしい。もっとも、話の発端は、大ホテルの設備がすばらしいことが2重に原因しているのだ。自分の身の丈に合ったホテルに泊まろうと反省しつつ、フロントに電話。タキシードを着たボーイさんがマスターキーをもって現れる。
結局、駅前のホテルは、2重扉にしないと騒音がうるさい。2重にすると暑くて寝られない(ここまで北上するとクーラーはない)。8時起床。風邪気味。すでにSolexは、マンハイムに送ったので、ソーヌ河畔をあるいて橋の写真。特段感想なし。
12時55分発、18時18分ストラスブール着。駅前の普通のホテルへ。直ぐに外出する気にもなれず、洗濯をしたり、風呂に入ったりして時間を潰す。日曜日らしく。レストランしか開いていない。
ホテルの1階の食堂で、夕食。まずはビール、野菜スープ、ニジマスのムニエル(エスカロップは食傷気味)、サラダ、1/4リットルのロゼ・ワイン、コーヒー。幸せは晩飯だけという日々が続く。
欧州議会のあるこの町まで来ると。完全にドイツ語圏だと感じる。パトリシア・カースというフランス人歌手がいるが、彼女は子供のころ家庭ではドイツ語を喋っていたらしい。団体旅行者というのも初めて見た。ドイツ人の観光客がバスを連ねてやって来ている。団体行動ができるということが特殊能力だとわかる。日本人と似ている人たちなのであろう。
結局リヨンもストラスブールもほとんどどこにも行かなかった。どちらも、有名な大聖堂があるが、10数年後に家族旅行をするまで、お預けということになった。さて、いよいよ、明日からドイツだ。フシェールを除いて印象に残っているのは、どこだろう。ルーアン・ナントくらいだろうか。もう一つ加えるなら、アヴィニョン。
アヴィニョンと聞くと今でも思い出すのは、実は町を出る日、駅で投身自殺(事故には思えなかった)を目撃した。走り抜ける特急に男性が飛び込んだ。一瞬の出来事だった。汽車に乗るために別のホームへ移動中であった。辺りは直ぐに人だかりが出来、そこから若いカップルがこちらに向かった歩いてきた。男性も落ち着かない風であったが、女性は泣きじゃくっていた。すぐに救急車の音がして、入り口から消防服にヘルメットを被った隊員が3人担架を担いで入ってきた。今となっては、夢であったかもしれないと思ったりしている。他のことであれば、好奇心が強い私は、当日の新聞を調べたりするはずだ。実際にそのような機会が何度かあったが、しなかった。今もなぜだか判らない。
もう一つ、ホテルの部屋のことを書いておく。通常、ヨーロッパでは、カップルで旅行することが多いので、部屋は二人用だが、一人でちょっと大きめくらいにしか感じない。それほど大柄な人はいないが、小太りの夫婦があの小さなダブルベッドでよく寝られるといつも感心する。ベッドが2つあるものも時々あるが、アヴィニョンの貸部屋で初めて見たので、2人用の部屋と勘違いした。
さらに、慣れてくると本当に便利なのは、ビデ。私は、足を洗っていた。お湯は出るので、イスに座って足湯が出来る。歩き回ると本当に足が疲れる。湿度が低いので、シャワーがなくても軽く顔をあらえば、2,3日は気にならないが、足だけは開放したい。リンゴ等の果物を冷やしておくのにも使えるし、水を張って靴下をいれておくのにもいい。本来の使い方も便利である。トイレが外にあるときには、夜中は、これをトイレ代わりにもした。30年前のことなので、書いても良いだろう。
from ponts

