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2011.04.26   御船川目鑑橋 その2

▲今の目鑑橋 と 目鑑橋のミニチュア
▲今の目鑑橋 と 目鑑橋のミニチュア

 おじいさんの案内通りに進むと、橋が見えてきました。
 でも、石橋ではなく、コンクリートの桁橋。

 本で見つけた風景はそこにはなく、
 どこにでもあるような風景が広がっていました。
 違うのは橋の親柱に「旧眼鏡橋」と書いてあること、
 そして、護岸に目鑑橋の絵が描いてあること。

 橋を渡った先には目鑑橋のミニチュアに簡単な覚え書き。

  嘉永元年(1848)、肥後の石工、卯助、卯市、丈八三兄弟が築造。
  長さ60m、幅4.6m。石数850個を使用。
  昭和58年県重要文化財に指定。
  昭和63年5月3日流失。

 ミニチュアの隣には私の背丈ぐらいの四角い石柱。
 「御船川目鑑橋之記」というタイトルとともに、
 架設の由来や関わった人の名前が彫られていました。

 これだけの情報じゃ、目鑑橋のカタチしか分からない。
 そもそもこの目鑑橋はまちの人たちみんなで架けた橋。
 大事なのは「なぜこの橋が架けられたのか」と「本物の構造の美しさ」。

 ーーー
 御船川に二連のアーチ橋が架かったのは江戸時代後期、嘉永元年(1848)。
 当時、御船町は上益城西部の中心で、上益城の米蔵、酒造の本場。
 その御船の町は川を挟んで二分されていたたため、
 米や酒の搬出がとても不便でした。
 飛び石を渡ったり、木橋を架けて往来していたらしいのですが、
 木橋では腐ったり流されたり。
 御船川は幅が広く、橋の長さが60mなので、
 架け替えにも費用がかさんでみんなが途方に暮れていたそうなのです。

 しかし、木倉手永の惣庄屋米永平蔵惟詳という人が石橋を架けようと動き出したのです。
 彼は実業家で、水路の開削、門前川目鑑橋、八勢橋も架けた人。
 石橋を架設する莫大な費用を造り酒屋の万屋、林田儀七郎能寛らに協力をあおぎました。
 万屋は御船町では代々酒造業を主にした豪商で、
 「たとえ御船川が逆流しても、万屋は倒れまい」と古老の間で語られるほどの人でした。
 ーーー

 こういう風に書かれている記録や物語を読んでいると、
 昔の暮らしを自然と想像してしまう。

 目鑑橋をつくり上げる大変さ、
 その橋が担ってきた暮らしの中での役割、
 そういった全てが頭の中を駆け巡り、
 先人の暮らしに思いを馳せる。

 記録と橋があった場所とを頭の中で重ね合わせていくうちに、
 そのときの風景が目の前に現れる。
 と、同時になんだかよく分からない気持ちになってじーんとしてくる。

 (その3に続く)

参考文献
上塚尚孝:目鑑橋礼讃、1998.
山口祐造:石橋は生きている、葦書房、1992.

from おかだ さちこ 

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